5月10日 ○日淸人の勢力比較
駐在公使の手腕器量は、吾れ淸に及はさるや遠し 若し日本人と文 ○豐年踊
終日赫赫、甑中に坐するか如し、筋ゆるみ力ぬけ 一人の小兒は壯夫の肩上に立ち、壯夫其足を握り
朝鮮雜記
加ふるに朝鮮事大の國是は、日淸兩邦人勢力の强
弱に關係を及ほしつゝあるは、理の▣易き所なり
とす、然れとも亦居留地人民の多寡は、最も其勢
力の强弱に關係を有せり、釜山の居留民は我れ彼
れより多きを以て、其勢力遙に彼の上に在り、京
城の居留民は彼れ我れより多きを以て、其勢力は
遙に我の上に在り、仁川の如き元山の如きは、我
の勢力稍彼の上に在り、嗚呼兎も角も京城は彼政
府の在る處、政令の出つる處、所謂彼の邦首腦の
地なるに、其京城に於ける我邦人の勢力の支那人
に下るに至ては、吾人の甚た遺憾とする所ならず
や、三港に於ける吾の勢力假令彼に優るあるも、
敢て誇るに足らざるべし、若しそれ一朝風雲の變
此處に發せは、誰か漢江を扼し漢山を控えて、此
天府の形勝を占むるものぞ、我邦假令平生戰艦を
江華に浮ふるあるも、祖生の鞭を着くるものは其
淸國なること、識者を俟つて後知る所にあらざる
なり、今京城に於ける日本人と支那人との勢力强
弱を驗し得へき活話を語らん
常に敗北するなり、是れ支那人は多數を以て敵對
するを以ての故なり、されば京城にて我邦人は到
底支那人に勝つ能はさるの境遇に在るものなり、
例令ば我邦人南大門邊へ露店を張り、雜貨を賣ら
んとすれば、其近傍に居る支那の雜貨商は、所謂
商賣仇なるを以て、いさゝかの事より喧嘩を仕か
け、多人數集り來りて商賣の妨礙をなすなどは敢
て珍らしきことにあらず、昨年南大門內に未た巡
査交番所の設け無かりしときは、此地に開店せる
我邦二三の商人は、甚た不安心に其日を送りたり
き、假令我邦人に理ありとするも、腕力を以てする
ときは到底彼に敵すること能はされば、支那理事
府に事の由を訴へて、無法支那人を取締らんこと
を請へは、日本語に通したる巡査出て來り、別段
仔細を聞糺すこともなく、「アナタ日本人、日本領
事館、イク宜しい」と刎付くるのみ、日本警察署
に到れば「其相手を捉へ來れ」と言渡され、口惜し
きことなから獻して止むの外、別に手段なき有樣
にて、密に我政府の保護至らさるを卿つもの多し
是等の事たる獨り支那人に制せらるゝのみにあら
ず 韓人よりも亦侮を受けつゝあるは事實なり
とす、我邦人の南大門の朝市に露店を出すものは
其前に住む韓人より每朝若干の謝金を取立てらる
ゝを常とす、然れとも支那人は何處に露店を張る
も、一文半錢も徵せらるゝことなし、是れ日淸兩
邦人の京城に於ける勢力の强弱を知るべき例證に
して、亦我邦人か韓人に輕侮され居るを知るべき
徵候とす、されど居留地則ち泥峴に在ては、我邦
人の勢力も亦大に强く、物品を賣買に來る韓人ど
もは常に敬語を用ふ、思ふに韓人は制し易き動物
なれば、敢て問ふに足らずと雖も、支那人の勢力
我邦人に凌駕し、隨て韓人にすら輕侮を招くに至
ては、我國權の消長に關するや大なり、我邦人須
からく勢力振起方策を講すへきなり、
轉た夏日の氷きを思ふ、日暮一陣淸涼の風を得て、
漸く終日の苦惱を洗ふ折りしも、忽ち聞く鐘鼓の
響、人叫と和し、笑語喧喧、耳朶を撲て來る、官
衙の門前は人旣に山をなし、豐年踊は興已に酣
なり、
て去れば、小兒手を搖して踊る、銅羅響き皷鳴り
拍手喝采四方に起る、踊罷めば、銅羅響を止め、
皷鳴りを收め、喧囂の聲亦稍靜なり、忽ち觀る纖
纖窈窕たる妓女兩三四、輕裙を翻へして蓮步䙚䙚
衆前に現れ來る、衆人復喧然たり、鐘皷の聲再ひ
起るや、妓は從容として俚謠を唱へ、翩然として
舞ふ、舞ふ時は狂蝶の玄圃に戲るゝか如く、唱ふ
時は嬌鶯の梅花に囀するに似たり、千恣萬態、坐
ろに觀客をして感嘆に堪へさらしむ、是れ韓人有
年を祝する所の豐年踊なり、