5月11日 ○疑心暗鬼を生す
余始めて釜山へ渡航せしときなりき、京城まて陸 りて余か前に置きたり、今や始めて解しぬ、主人 大邱を去ること二十里許にして、幽谷驛へ入るの ○行藥商
我邦の書生にして彼邦の內地を跋踄せんとするも 松籟子曰く予亦咸昌縣利安村を過き民家に就て ○田舍の藥局
彼邦の村落を徘徊するときは左の如き家屋を見ん ○牛痘醫
彼の國法、牛痘醫たらんとするものは、豫め官に 捕大賊鄭某者、賞給壹百兩
と大書す、余は頗る驚けり、官斯る大金を睹けて
朝鮮雜記(續)
行せんものと思ひ立ち、韓錢を腰纏となし、僅か
ばかりの荷物を肩にして居留地を出發したりき、
渡航當初の旅なれば、未た彼の邦の言葉を知らず
又彼の邦の人情風俗も知らさりければ、途中少少
の困難に逢はんは、元より覺悟せし所なりき、さ
れど思ひしよりは心易くして、三日目に慶尙道觀
察使の所在なる大邱といふ所に着き、南大門の傍
なる最とむさくるしき客舍に宿りぬ、此客舍に宿
りし旅客とては余の外には一人もなかりき、余は
夕飯を喫し了り日記などものして、やがて十一時
頃にてもやあらん、家の內の話聲もやうやう聞え
ずなりければ、枕に就かんとしけるとき、余か室
の圖を排して入り來れるは是れ客舍の主人なり、
彼は余に向て何事か語り出てしも、余は少しも韓
語を解せざれは、如何なることをいふにや、更に
知り得へくもあらず、止むを得ず文字にて認め何
事を間ふにやと尋ねたれど、彼れは文字を知らざ
るものと見えて、余の書きたるものを見んともせ
ざりき、今より追想すれは、其狀宛も聾せさる啞
兒か互に談話を試むるか如く甚た可笑、彼は余の
韓語に通せさるを知りつゝも、いと熱心に喋喋し
たり、余は殆んと困したりしも復た奈何ともすべ
きやうなし、彼れもどかしやと思ひけん、終に手
眞似を始めたり、見れば彼は拇指と示指とを結び
且つ掌を延へて余に示せり、余は思へり彼れ宿錢
を請求するならんと、卽ち腰をさくりて四十文を
投せり、彼は其を顧みんともせず、再ひ手語する
こと前の如し、余又思へり、是れにては不足なり
猶拂ふへしといふなるべし、然れとも四十文を投
すれば、何處の客舍にても滿足したりしに、此家
の主人は余の獨宿を見て貪らん心を起しゝよなと
心竊に察し、首を振手を搖がして金を有せざるさ
まを示せり、然れど主人は甚た眞面目なり、果は
余か顔を熟視し、手を伸して直に余の腰をさぐり
腰纏を指して又も掌を出して、そを出さんことを
强ゆ、余は痛く驚きたり、彼は余の路金をば殘ら
ず取らんとするなり、今彼の意に隨はんか、明日
より何に因て旅費を辨せん、彼の意に背かんか、
或は彼に害心なきを保すべからず、噫是れ何等の
惡因緣ぞ、金は甚た惜むべしと雖も、生命も亦顧
みさるべからず、何事も命ありての上なり、若か
ず金を渡さんにはと、余は漸くに決心して、力無
けに腰纏を解きて悉く彼に與へけるに主人は欣欣
として默禮一番、錢を携へて出去れり、余は恨め
しく其後影を見送りて深く歎息したり、嗚呼余は
彼に盡く旅費を奪はれたり、異域萬里の旅の空、
如何にして明日を過さん、此家の主人は實に恐る
へき盜賊なり、余を他鄕の孤客と侮りて貪婪飽く
なき慾を逞ふしたり、余猶ほ漫然玆に在らば、或
は再ひ來て余か行李を奪はんも知るへからす、千
金の身も空しく彼か爲に害せらるゝきを知らんや
なと種種の想像胸に浮ひて、氷の上に坐するの感
をなし、已ぬる哉運は天なり、暗夜道を求めて玆
を脫すと▣▣方位も知らすして何處を指してか遁
れ得べき、出てゝ生くるを得ずは、寧ろ死を決し
て玆に在るに如かず、彼れ唯錢を得んと欲するの
み、悉く彼の有に歸せば、彼豈余の生命を奪はん
や、と意已に決すれば復た恐るゝこともなく、悠
然眠に入りて東方の白むを知らさりしが、枕頭の
人語に驚されて目を開けば、四五名の韓人余と談
話せんとて來り余の傍にむりて眠の覺むるを待て
るなり、余は最と快かちさりしも、問はるゝまゝ
に答もしつ、又前途のことを問ふなとしつ、やゝ
筆談に時を移しけるに、客舍の主人朝飯を餉り來
れり、怪しむへし、昨夜人定まりて後、余を嚇し
て旅費を奪ひしものが、何を思ふて余に朝飯を供
するや、所謂大に奪ふて小に與ふるものか、余は
心に疑ふなきにあらされど、充分に食し畢り、い
さ出立せんとせし時に、主人は昨夜の錢を
は余の錢を腰にして寢ぬるを危險となし余か爲に
わざわざ之を預り吳れたるを、嗚呼余は疑心暗鬼
を生したりしなり、彼れ昨夜あまりに眞面目なり
しかば、異域人を憚るの余は爭てか彼のかくまて
も親切なりしことを知り得らるべき。
途上、道傍に木牌を立て、
の、多くは藥品を荷ひ、醫者又は藥商と號して、
公然病を診し藥を投し、行行旅費を辨し去る、是
れ蓋し已むを得さればなり、韓錢は重くして千里
の跋踄、携帶の困難言ふべからざるを以てなり、
されば利を得るに急なる、咬蛇の毒に千金丹を塗
り、睪丸炎に解熱劑を與へ、異域萬里の旅行、一
時の恥は固より意とする所にあらすといふ如き旅
行者、年年多きを加ふるか爲めに、釜山より京城
に達する通路の如きは、商賈を目して猶ほ醫者に
あらぬかと疑ふ者多く、我邦の醫士は此地方に信
用なきこと日益甚し、
旅舍の有無を尋ねしに韓人予の言を誤解し此村
には病人ござらぬと答へたりき、
是れ藥局なり「神農遺業」「博施濟衆」なと書きつけ
置くこそ愛らし、
數十金を納めて而して其允許を受く、牛痘醫は一
回の報酬實に數金の多きを貪る、我邦人にして痘
鍼と痘漿とを携へ、去て內地へ入り一夜造りの牛
痘醫となるものあり、其收益の多き、一春殆んと
百金以上を收むといふ、而して韓醫の種痘術に於
ける、是等一夜造りの醫者と其巧拙擇む所なき也
捕へんとするの大盜、此邊に徘徊するか、後之を
人に聞きしに一百兩とは當五錢十貫文にして、殆
んと我邦の三圓程なりき、時時斯る誤謬に陷りて
膽を潰したりき、