5月12日 ○喧嘩
朝鮮人の喧嘩する樣子の氣樂千萬なるは、ほとほ 氣激し心噪たり、焉ぞ▣▣地互に笠を脫するの ○小兒の玩具
彼の邦人は日常必要欠くへからさるものゝ外は、 貧弱國自ら儉約を守るの風習あり頗る嘉稱すべ ○安物買
西洋の貿易者は日本は安物買の國なりとて、わざ 朝鮮の我邦に對するを以て我邦の西洋に對する ○支那人
八道到る處の市場、支那人を見ざるの地なし、三 ○擔軍
戰の日には運搬兵に編入し擔軍と ○傘
彼の邦に傘といふものなし、近年 ●訂正 前號の朝鮮雜記中「捕大賊鄭某者賞給一百圓」
朝鮮雜記(續)
と呆れ果てたり、いさゝかの事より爭論をはじめ、
兩兩互に意氣激昂し、口角泡を飛はして舌戰する
こと稍暫らく、議論愈積極に達し、到底和解の見
込なきに至れば、雙方共に其笠を脫き、いざ來れ
組まんと、互に椎髻を握り合ひ、引きつ引れつ挑
み合ふのみ、江戶ツ子の捷やき喧嘩は絶えて見る
へからず、而して其終は何時も着物は破れた、償
なへ、笠代いらく出せといふ、眼前の損害の要償
を强ゆるに終るを常とす、
餘隙あらん、彼氣樂知るへきのみ是れ國運否塞
の徵
錢を投して購求することなきなり、嘗て我邦人彼
の邦に小兒の玩弄物なきを機とし、一擧して大利
益を得んものと、玩弄物店を京城に開く、而て未
た一物も賣捌かざるに、不幸にして閉店をなさゝ
るべからさるに至れり、彼の邦兒童の遊戲は重に
賭博にして、其輸贏を決するの法甚た多し、紙鳶、
鞦韆、抑笛、竹馬、等時節に應して流行するありと
雖も、然れとも錢を投して玩具を購ふ如きは決し
て彼等のなさゝる所、
し
わざ日本向きなる名稱を附して、粗製の品を輸入
し來る如く、我等日本人も亦韓人は安物買なりと
て朝鮮向きなる粗製品を輸出し去る、知るべし朝
鮮の貧困國なるを、特に仁川、京城に於ては、粗
惡低廉の品にあらすんば、賣口甚た遠し、釜山は
彼の邦最も古き開港場たるを以て、粗惡低廉の品
を買はんよりは寧ろ堅牢なるものを買はんといふ
の風を生じ來れり、是に因て我邦輸出商間には釜
山向き或は仁川向きといふ套語を生するに至れり
に比較す嗟我邦は西洋各國に對しては一朝鮮國
に過きさるか、
三五五列をなし、市を追ふて徘徊するもの幾百人
なるを知らず、其鬻く所の品は千人一樣、針、釘、
唐紙、唐糸、燧石、摺附木、烟竹等にして、稍資本を
有するものは金巾等を售るもあり、韓人と混して
市場に店を張り、粗食を喫し、粗衣を着け、勤儉
能く自から奉し遂に大に貯て歸國す、我邦人徒ら
に奇利を貪らんと欲して、這般の勞働を嘲けり、
支那人賤むへしとなし、一事成すなく産を破て空
しく歸國するもの多し、噫支那人に及はざるや遠
し、
稱する民なり、兵物を背上の桁に
載せて運搬して錢をとる、
我邦より傘或は洋傘等を輸出す
るに至て、少しく之を用ゐるに至
れり然れとも其は十人中僅に一二
人にして、他は大槪傘を持たぬ人
なり、微しく雨降る時は彼等は笠
の上に、油紙にて製したる雨除け
をつけ、衣服は濕ぬるるに任せて
步行するなり、旅行するものは油
袗とて、我邦の合羽の如きものを
着く、然れとも雨天には外出せさ
るを常習となすを以て、雨降ると
きは市街は頗る寂寞たり、又晴天
の時に十四五錢位の我邦の番傘を遮日傘としてか
ざし、揚揚得得たる態は余等をして思はず噴飯せ
しむ、
の一項は「行藥商」の前に入るへきを組方の誤りし也玆に
讀者に謝す