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1차 사료

사람이 하늘이 되고 하늘이 사람이 되는 살맛나는 세상
二六新報 이륙신보
  • 기사명
    明治27年 5月 16日 朝鮮雜記(續)
  • 이미지
    prd_0130_043 ~ prd_0130_047 (43 ~ 47쪽) 이미지
  • 날짜
    음력 1894년 04월 12일
일러두기

5月16日
朝鮮雜記 (續)

○日本語學校

朝鮮政府が日本語學生を養成せん爲めに設立せし
ものにして、京城日本公使館の前に在り、生徒は
僅かに二十餘名敎師は我邦人一名なり、生徒中に
は旣に日本語に熱し、新聞紙を解讀するもの四五
名ありといふ、前途多望なりといふへし、而して
其日本語學生たるものをして唯我邦の言語を學ぶ
の鸚鵡たらしむることなく能く我邦語に通ずると共
に廣く海外の事情に達し、他日朝鮮建國の英雄を
以て自ら任ずるの輩を出すに至らば此語學校は其
我邦の松下村墪にあらさるなきか、

我邦人彼政府の顧問雇聘たるもの前後皆退く只
た語學校長のみ本邦人を用ふ、

○資本を要せず

我邦人の彼邦にて商法を營むもの皆資本の少きを
病む、然れども朝鮮は貧弱國也資本を下して商法
を營むべき國にあらず、僅かに十萬圓の金を有す
る時は其運轉の途なきに苦しむべきなり、故に空
拳にして一萬內外の小金を貯ふるものあるも若し
積で十萬に達する時は忽ち否運に傾く、故に西洋
人の如きは彼邦の爲すに足らさるを知りて、貿易
に從事するもの少し、要するに彼邦は無資本にし
て資本を作らむとするものゝ手を下すへき國也、
されは彼國に於ては資本少くして商法に手を下す
能はすなどいふ勿れ、彼支邦人を見よ、一錢の資
なくして來り巨財を得て歸國するもの多きにあら
すや、之を要するに我邦人は氣品を高尙にすること
にのみ執着して行商するは恥なり、露店を張るは
馬鹿氣たりなど徒らに實利界に遠き思想を確持し
て却て積財致富の大素願を達することを忘れ、常に
窮苦を嘆して日を消するもの多きは愚も亦甚しと
いふへし何ぞ此邊に一顧せざるの甚しき、

屠兒となり輿丁となるも獨立的生計を營むに於
て何の避くる所あらむ耶、

○朝鮮の食鹽

朝鮮の食鹽は其製法甚だ粗惡なるを以て、色澤恰
も灰に似たり、余內地を旅行する每に燒鹽を携帶
し以て調味の料となせり、曾て聞慶の旅舍に泊せ し時旅舍の主人余が行李の內に燒鹽のあるを見て
其燒鹽なることを知らす、余に其何物なるかを問ふ
余告くるに食鹽なるを以てす、主人其一塊を得む
を請ふ、余諾して之を與ふ、主人一嘗して乃ち曰
く是れ藥鹽なりと深く之を珍藏す

○一擧兩得

虎、豹、熊、鹿、鶴、鷺、米穀、牛皮、人蔘、魚
類是等卽ち朝鮮の産物、而して是等の物一として
天産ならさるはなし、我邦人は朝鮮を以て我國上
古文化の由來せし國なりと思はゞ是等の天産物以
外に工業的の物産を輸出せしむる方策を授くる俠
氣あるものなきか、蓋し彼國に在りては人夫の貸
銀甚た低廉なるを以て、彼を使役して工事に當ら
しめば、其結果彼を利し又我を益す、卽ち一擧兩
得、

○市場

京城、公州、平壤、松都等の大都會は格別なりと
雖も、其他の小都會に於ては市場とて唯四本の柱
を建て藁を以て其屋根を葺きたる粗造の家屋二三
十軒建竝び一六とか二七とか定まりたる日に於て
市を開く、此日には近鄕近在の商人集り來り市場
に蓆を布き其賣らむとするものを陳列するなり、
而して賣買は必ずしも錢文を用ゐず、全く物物交
換にて其有樣恰も神農氏の時代を想起せしむ、さ
れば市日の外には一本の針だも賣るものなく、食
用品より日用の雜物に至るまで皆此日に買ひ置か
ざるべからず、若し降雨連日霽れざる時は市場を
開くを得ざるを以て、殊の外不自由を感ずることあ
り、現に余は內地にて墨斗の筆を失ひ之を求めん
とせしに不幸にも市日に逢はず大に困難せしことあ
りき

○獨立せし事稀なり

韓國といへば今如何に衰微の國なるも四千年來の
古國にして我邦上代開化の原導國なれば定めて見
るへきもの多からむと思ふへし、然れとも百聞は
一見に若かず、想像よりは實相を見るに若かず、
文物、制度、器械、工藝一として今人の視聽を惹
くに足るものなく吾人をして殆ど亞非利加內地を
旅行するの想あらしむるものは抑も何そや、試に
一部の朝鮮史を取て閱みするに、上古より今日に
至るまて他國の羈束に拘はらさる時代は殆ど稀な
り、乃ち彼の邦は眞に獨立せしこと之れ無しとい ふも過言にあらさるなり、國旣に獨立國にあらず
人民焉んぞ振はん、彼邦の衰退せし原因は虐政の
結果なりと斷するは一般の說なりと雖も這般歷史
的關係亦復之れが一大原因たらすんばあらず、嗚
呼彼邦人廣く萬國の事情に通じ、感慨を旣往四千
年の汚蹟に濺き、自ら新立國の大圖を企つるもの
果して幾百年の後に起ること在るか、水を莅みて津
涯を失ふの嘆あり、

韓人は歷史的に獨立精神を消磨し居れり、

○旅行者の携帶品

內地を旅行せんとする人の爲めに其携帶すへき物
品を指示すべし、

毛布、肩懸革鞄、手帖、鉛筆、規尼涅(水土惡し
きを以て泥瘴熱に罹り易し)、銀貨少許(これは
用意の爲なり一圓に付韓錢八百文位に交換し得
)護身用器具(ピストル或は刀劍)、手拭、齒磨、
石鹼、食鹽、

但貴族的旅行者の爲にあらす

衣服は日本服も可なり、西洋服も可なり、但し內
地人の信用を買ふには西洋服を便とす

漢江の行啓橋を見る (露梁村)

四月八日國王殿下水原の獻陵仁陵に詣でらるよし
官報を以て報せられぬ越へて數日漢江露梁村に橋
架を作るべき命あり、京畿道監司金商圭氏は其の
監督官として冒經營せしが昨年に至りて美事に成
就せし由聞及びぬ昨日は大鳥公使も見物に出懸け
たり、何はともあれ朝鮮稀有の橋梁なりとの風評
高かりけれは余、朋友二人を誘ふて五月三日后一
時より見物に出でぬ

南大門より龍山道は幾度となく通過したれば珍し
きことなく道すがら只た絡驛として來往せる牛馬
マソチ、サンライス、ビンヘツト、虛甁、眼鏡、鉛の
指輪、打ち交ぜての露店、牛の腹より手足、首まで
大鍋に入れたるソツブ大仕懸の食店、豚小屋同然
の酒幕(宿屋)、飯屋、米屋其れ其れの振合一方なら
ず南大門より龍山街道に沿ふ里手にして銅雀街に
入る街上砂煙深く殆んど窮す、行啓橋檢分として
出張したる官吏、兵士、見物人、續續として歸るに
遇ふ

龍山街を右に見て項難村の前をすぎ一長沙原に出
つ一帶の長砂、漠漠として一面に限りなし之を橫
きる牛馬の隊、靑覆衣を掩ひたる婦人、少年の砂
上にかけまわるの狀、恰かもゴビ、シペリヤ征客
の小程路に似たり

楊柳の村に入る、人家、新綠蒼林の間に出沒す人聲
遙かに起り、行人亦た煩なり行客に問へば橋近き
に在りと到れば大セナム村の前岸は工事新たに、
露梁村の橋梁眼下に在り、兵士、觀客、村翁、官吏、
彼處の靑柳の下、此處綠樹の蔭、思ひ思ひに環坐
す、幾千の職工舟より舟に轉じ石を運ばし木を引
き土石を荷ひ船百十漢江を橫ぎり其狀戰時の如し

橋梁の裁體

露梁村より大セナム村の間、漢水の廣さ大凡六百
間なり、橋は此の間に作られたり、三百石許の船
を左右より交叉し互に相連結したれば水の流れを
支ゆるに足る船に板を橫たへ左右の板は相結ひ其
の板上の左右に赤欄干をかけ恰かも一條の廊下を
見るが如し、橋路の廣さは三間、橋の央ばに一大
紅門を立てたり恰かも我烏居の形ちに似たり 橋 路の入口は猶ほ工事終らねど石を以て築きたり、
出口はセナム村にて小高き丘上に家屋を新築して
あるは正さに國王休息のところなるべし余輩橋に
入らんとして叱せらる (未完)

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