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1차 사료

사람이 하늘이 되고 하늘이 사람이 되는 살맛나는 세상
二六新報 이륙신보
  • 기사명
    明治27年 5月 17日 朝鮮雜記(續)
  • 이미지
    prd_0130_047 ~ prd_0130_050 (47 ~ 50쪽) 이미지
  • 날짜
    음력 1894년 04월 13일
일러두기

5月17日
朝鮮雜記 (續) 如囚居士

●國王殿下

溫乎接す可くして狎る可からず、然も君主の美質
を具ふれども、愛を寵妃に恣にして勢道の跋扈を
制せず、蛙鳴を左右に問ふの晉文に非ざるも馬を
指して鹿と爲すの趙高は秦皇を愚にせり、可も唯
唯、不可も亦諾諾、奏者の言是れ
聽く、焉んぞ知らんや、壠上の陳
勝を收めて起つあるを、川上中
將曾つて王に謁し、後、人に語つ
て曰く、王の性、王の質、之を歐
米の諸王間に介せしむるも多く讓
る無しと、王の爲人正に斯の如し、
而れとも政柄一たび下移すれば
主權王に在らず、是れ現在に非ず乎、三寸の眞像王
が平生の彷彿を見るに足る

○東學黨の魁首と逢ふ

昨年四月下旬の頃なりき、黃海道に旅寢して瑞興
の客舍に宿りける時、驢に騎りたる二人の旅客戶
を排して余の室へ入來りぬ一人は年の頃六十有餘
にして半白の翁なり、一人は四十四五にもやあら
む、疎髯を蓄へたる人なりき、共に二重笠を戴き
美しき薄靑色の外套を被り、立振舞のしとやかな
るさまは決して尋常の市人にあらざるものゝ如し
初め余を見て不審顔なりしが軈て余に向ひて何事
か說出でしも、彼國の語に慣れざる余には、何事
をいひたるにや更に通せず、彼等はもどかしとや 思ひけむ、指頭にて蓆の上に何事をか書きぬ、打
見やれば公は何國の人なるやとの問なりけり、余
は日本人なるものを彼等知らざるにあらざるべき
に訝しくも問ふものかなと思ひしかど、取敢えず
余は日本人なりと對へぬ、彼怪しむが如く復問ひ
けるは日本人は鬚髯を剃落す風俗なるに公は何故
に之を蓄ふるや、當時余か打扮は洋服を着け眼鏡
を掛けて釜山京城にて見なれざる樣なれば爾か問
ひしなるべし、余曾て聞けり此國にては大に市人
を卑しむと、幸なる哉此問、余此鬚髯を以て充分
信用を買ひ數十日の旅の憂さ此一夕に晴さんもと
のと、卽笑て答へけるは吾邦の俗市人は鬚髯を蓄
ふることなし、只た之れあるは士人のみと、彼等余
が答を得て余が顔を熟視し互に何事か語り合ひつ
ゝ行李より筆紙を取出しぬ、余が士人といへるを
以て彼等余に多少の文字あるを知り余と筆談せん
が爲めなり、互に姓字を通し初對面の禮も終り彼
れ徐に說き出しけるは、公は隣邦の士人胸裏定め
て史籍に富むへし知らす貴邦人士壬辰の事を以て
邦を敵視するもの多きにあらすや、壬辰の事と
は蓋し大閤征韓の役をいふなり、余竊に思へり壬
辰の役は我大勝彼大敗、大勝を以て大敗の人を敵
視するの理なし、余等此事を以て空前の大快事と
なす、而して今彼の問余の豫想外に出づ、彼或は
我軍を破りしものと思ふにあらす耶、誤聞頗る笑
ふへきなり、卽ち筆を把り壬辰の後八道の草木悉
く我軍に蹂躪せらる我軍全勝、勝て而して恨を今
日に懷くものあらむ耶、彼れいと不平に感せしか
如く直に筆を採り、全羅沿海或は慶尙道東部の戰
況を說くもの甚詳なり、終に曰く貴邦の歷史忌む
て實を傳へさるのみと、余寡聞にして征韓史に精
しからず、然れども小西加藤等の全軍釜山に上陸
し破竹の勢を以て慶尙忠淸二道の中央部を拔き終
に京城に入りし顚末を說き、以て大に彼等の誤信
を正し、且曰く彼我歷史の傳ふる所同しからざる
も請ふ之を事實に徵せん、貴邦若し勝ちたりとせ
んか我軍惡んぞ長驅して八道を蹂躪すること無人の
地を行くが如きを得ん、惡んぞ又二王子を擒にす
るを得ん、我軍若し敗北せしといはんか貴邦何を
苦んで援けを明に求めしぞ、何にを苦んで畿內を
脫れ去りしぞ、彼等看了て憮然、是れまでは一語
筆し了れば互に何やらむ喋喋しく語合ひしが忽ち 口を噤むで顔又赤く、斜に余を睨視し又互に顔を
見合はせて默然たり、彼等心中旣に忿を含めり、
暫くして彼等筆を潤して虛なり、虛なり若し眞な
らば公も亦敵國の人にあらず耶、彼等果して忿怒
を筆端に露出せり、彼等始めて余を見しより未た
笑を示さゝるもの、思ふに彼等が余を快からず感
ぜしは此時に於て始まりたるにあらず、旣に余が
日本人なりと告げし時に於て彼等は余を憎むの情
を惹起したるなり、 (未完)

漢江の行啓橋を見る(承前)

揚柳樹下の歌舞

老少俄かに集りて環を爲し、喇叭、樂聲、直ちに
揚柳の下より起る日溫かにして春風柳を吹けは淸
涼の氣髮とふく趣味掬すへし余輩又た聲を追ふて
至れは歌已に酣に舞正さに妙境に入る人人手を拍
ち喝采の波四方より高し、舞ふものは少兵士と老
村翁、歌ふものは一個の少年、樂聲は朝鮮古風の
二樂器なり、歌舞能く我盆踊に似て歌能く、我に
似たり、歌舞半は終らざるに▣然として怒り、蕭
然として悲しみ、喜然として笑ひ、春神揚柳に降
りてともに醉ふが如し老村翁汗顔に流れ少年肅然
として歌ふ余輩到れば爲めに席を讓る

漢水を問ふて龍山に入る

歌舞已に畢りて人亦た散す日漸く斜なれば南大門
の關門を通り急いて龍山に向ふ、露梁村より麥畝
の中と橫ぎれば只た十餘町のみなれども、故らに
潢水の流れを追ふて下る、孤帆セナム村に歸り漁
船矢の如く流た行く、一小舟あり水の央ばに在り
舟中の客手を上げて呼ぶ、客は韓人なり余等又
た呼ぶ、國を異にすと雖も他鄕風流を喜ぶ亦た一
興なり浦を下れば小村あり小セナム村と云ふ造船
場なり船は河用のみにて見るべきものなし村婦河
に洗衣するもの半ば余輩を見て村に逃け去る、小
セナムより龍山は間もなし

龍山津

龍山津は元と支那の居留地なれども商民船舶の便
利より近年支店を設け物貨の問屋を爲すもの少か
らず仁川より來往する滊船は日に二回の交通あれ
ば來客絶えず人家十餘に過ぎざるも日本和船の出
入少からねば滯留の日本人六十餘名なりと云ふ龍
山の戶數四百餘、倉庫在り每月兵士の糧米を此地 にて渡すことにて京城より三三五五隊と爲して來る
もの少からずと云ふ米糧は平日備ふる法規なれど
も今日は只た兵士の米糧のみ貯蓄せりと、フラン
ス敎會堂設立せり、信徒九人に法師二名、龍山地
方の人氣荒惡なれば傳道の困難思ひやらる

此の地京城を去る一里の要津なれば有事の日には
尤も用と爲すのところなり龍山の上流淺瀨河のと
ころは加藤淸正の一潟千里渡れるところなりと云
ふ前に漢江の沙漠三里餘の茫漠たるなりもし夫日
斜に沙原一面紅卵色の光顯中に馬隊人隊一路をた
どるの風景は亦た一偉觀なり近時我商民の移住多
きを以て在京我警察の派出所なり

歸路及び南大門

龍山を去りて歸る村婦、野溪より洗衣を頭にのせ
て歸り旅客急きて京城に入らんとす、村の少婦、
集りて相歌ふ、舊路に入りて南大門に入れば夕陽
已に漢陽府の長壁に斜に仁王頭より白岳に連る壁
線は山より山に走り、古瓦頹零、僅かに舊觀の半
を存ず、南大門に近けば揚花津より、麻浦より龍
山より銅雀津より來れるもの馬上より煙火をふき
つゝ來るあり、財貨を負ふたる商人、轎より來れ

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