5月20日 ○鳥嶺
鳥嶺は忠淸慶尙兩道の境堺に跨れる高山にして、 注に曰く、鳥嶺は八道第一の要害にして一夫道 ○釜山に於ける彼邦婦人
三港京城の居留地に於て、韓婦人の我租界に入ら 揭示
右揭示事、日本租界內、如有我女人觀光、無端 甲午二月初一日 朝鮮警察署、 無端辱說不當とは、居留地に入りたる婦女を、韓 揭示
右揭示事、日本人出入之路、我人男女老少、無 蓋し我邦人居留地以外の市邑に入れば、往往韓人 ○巾着
韓人は其腰圍に必ず二三箇の巾着を下け居るを常
朝鮮雜記 (續)
三千鳥道、九曲羊腸、樹木鬱蒼、豺狼來往の處
なり、山中に小亭あり、溪に臨んて結構す、是を
慶尙道監司、新舊互に印綬を交換する處となす、
亭中墨痕淋漓、皆是れ行客の冤を訴ふる筆跡なり
曰く、「濟州牧使李億吉盜賊也、月徵民財五千兩式、
民何以生活」金海府使閔泳裕、虐下民無不到處」
大槪此の類なり、
に當れば萬夫を障ふ可きの地なり、關門三あり
曰く主屹、曰く鳥東、曰く鳥嶺、想昔小西行長
聞慶を屠つて直に此險を拔き、魚串北るを追ふ
て忠州に入る、本邦最得意の地、
さるは唯釜山のみ、釜山は彼邦最古の開港場にし
て、吾が封建以前の歷史に遡るも、吾邦人との交
涉は最も古き地なり、然るに何故に彼邦婦人か居
留地に入らざるかといふに、封建の世我邦人の初
め彼邦に滯留せしもの、叨りに婦人を捉へて强姦
せしが故なりといふ、今や是等の歷史は過去に屬
し、彼邦人も頗る我が人情に熟し、婦人も亦我邦
人を忌むの情なし、願くは婦人を居留地に導くの
法を設け、過去の汚痕を長く後世に傳ふる勿れ、
頃者一吉報を得たり、曰く這回釜山總領事の談判
にて、釜山監理使は左の揭示を市邑に張出せしを
以て、大婚式日龍頭山に行ひたる 兩陛下遙拜式
場には、一千有餘の韓人入込みしといふ、
辱說甚不當、切勿惡言相加、當宜者、
人仲間にて辱說するを禁したる也、又同日左の揭
示を出せり、
端詬罵、實屬怪戾、切勿如是、當宜者、
の爲めに忍ぶ可からざる侮辱を與へらるゝを常と
せり、釜山近傍此より侮辱の言を聞かざるを得ん
か、願くは普く全國八道に令して我邦旅人の爲め
に「ワイノム、トン、モコラ」(倭奴糞を食へ)なと
いふ詬罵と、土石抔を投け付くる等の惡戲を制止
し、善隣の道を講せられたきもの也、
とせり、一は、煙草を入れるもの、一は賭博道具
を入れるもの、一は奴鏡、鬓かき篦、煙管の烟脂
取り、等を容れ置くものとす、彼等は甚た容止を
修飾する癖ありて、時時刻刻、隙さへあれば鏡に
對して、鬓のほつれ毛をかき居るなり、本邦居留
地人、彼等が腰圍のものを稱して、韓人の七ツ道
具といふ、