5月27日 ○盜賊
草賊の多きは旅行者の常に憂ふる所なり、三伍隊 海賊も亦多し、蓋し海賊は彼の草賊の如く、▣(僅)の 余曾て黃海道海州へ旅せんとて、旅裝を整へ通 是れ實に氏か實見せし所にして、氏の談話に巧な
朝鮮雜記 (續)
を成し道側に在て旅人を俟ち、之を恐嚇して其
腰纏を奪ふ、又人家をおびやかして▣▣を掠む其
最も多きを冬時となす、然れとも草賊の害は小に
して憂ふるに足らず、何となれば韓錢の重き、如
何に多力のものと雖も、其負ふ所十貫文に過ぎざ
ればなり
財錢を掠めて足れりとするものにあらず、而して
其徒黨甚た多く、晝間は漁船若しくは商船に混じ
て他船の動靜を窺ひ、若し其財物多きを見れば、
密に其後に追從し、機を計りて其船に亂入し舟子
を縛して乘客をおびやかし、船中の貨物悉く己が
船に載せ去るといふ、余曾て在京城の我邦人▣士
稻垣氏に氏の逢▣話を聞く
辯者を伴ひ、仁川より朝鮮船に投ず、月串に到
る頃は旣に眞夜中を過ぎ、數多の乘客は皆打伏
して眠を貪り、舟子が唱ふる款乃のみ、漕行く
舵の音に和して靜に聞えぬ、余は此時猶ほ獨り
眠らざりけるに、遙の後方より濁聲高く我船を
呼ぶものあり、舟子は櫓を止めしと覺しく、呼
聲は一としほ高く聞えぬ、やよ黃海道へ行く船
ならば、賴みたきことあり暫し待たれよといふ
我船の舟子は星光にもすかし見しにや、商船な
りといふ聲も聞えぬ、賴とは何事なりや問返す
聞に彼の船は早や我船に漕ぎつけたりと見え、
舟子は一聲高く水賊なりと叫びつ、余は此時ま
でも眠らぬまゝに、聞くともなしに耳聳てしが
今この水賊との一聲を聞きて痛く驚きたり、さ
ては大事の起りぬ、我船は水賊に襲はれたり如
何にすべきと恐れ惑ひしも、怖きもの見たさは
亦人の情なれば、余は船室より頭を擡げて樣子
を窺ひしに、白布を以て頭を包みたる五人の海
賊は、各武器を携へて早や我船へ乘移り、右に
走り左に走りて、帆綱を斷ち櫓を海へ投け舵を
打碎くなど、その働のするどきこと、恰も疾風
の樹木を倒し、電雷の頭上に轟くにも似たり、
聚合の人人も此物音に▣きたりけん、▣れ呼起
さねど皆覺めぬ、されど海賊と聞きて怖れ戰き
頭を縮めて船室に潛み居るのみなりき、賊は舟
子に向ひて客室は何處ぞと聲高に問へり、舟子
はおそるおそる余等の居る所へ案內せり、さては
我身の上なりけりと▣又今更の如くに怖ろしく
余は隅の方へ隱れつ、賊等は直に入來らずして
船板を集め來り出入口を▣ひ、上に何やらん重
き物を五つ六つ上けたり、余等船室に在るもの
は實に袋の鼠、殺さんも生かさんも賊等の心一
つに在り、心細さはいはん方なし、かくて賊等
は此隙に我船中の荷物を、悉く己か船へ投移し
たるべし、暫くして再び船室の上に集まりしと
見え、跫音いとしげく聞えぬ、忽にして出入口
は開かれたり、禍はいよいよ身の上に近きぬ、
一人の賊は船室へ下來れり、四人の賊は火繩砲
或は鎗なと持ちて、出入口の周圍を守りつ、さ
て入來りたる賊は余等乘合の腰纏を改め、一一
之を奪取りたり、人人は恐れ戰きて唯生命を請
ふのみ斯くて賊は手荷物の詮索を始め、遂に余
が藥品と器械とを入れたる支那鞄を開き、こは
何物なるやを問へり、余か隨へし通辨者は余か
言をも俟たで、日本人の荷なりと答へぬ、なに
日本人は玆處に乘合居るかと、賊は日本人と聞
きて一入勇み立ちぬ、いはずもがな、余か禍は
ますます迫れり、されど乘客の人人は皆默して
余を日本人なりと告くるもの一人もなかりき、
幸なるかな、余は韓服を着け居たるを以て、賊
は余か日本人なるを知るに由なかりしなり、賊
は四方を睨めまはして日本人は何處に居るか、
彼れ何處へ隱れたるか、彼れ必ず銀貨を持つべ
し、疾く此處へ引出せと罵りたりき、嗟賊は日
本人ときゝて其銀貨を奪はんものと勇み立ちた
るなり、賊は頻りに問糺せども一樹の蔭、一河
の流も他生の緣なるものを、ましてや眼前余が
身に逼れる禍を見つゝ知りつゝ、余を日本人な
りと告くる無情のものなく、乘合の人人皆口を
噤むて、余を危難に免れしめぬ、賊は止むなく
一一荷物を改め、余の携來りたる梅干の曲物を
見出し、蓋引開けて物好きにも其の一つをかぢ
りしが、彼れ如何に味ひたりけん、直に吐出し
顔打ちしかめ、唾を吐き口をしぼめ、目ぼしき
品二品三品引抱えて、船室を飛出て四人の賊と
共に、飛ふが如くに己か船へ打乘り、雲かすみ
跡白波と漕去りけり、賊の梅干に驚きしさまい
と可笑かりしも、恐ろしさに心奪はれ、一人の
笑ふものもなかりき、賊の去りたるを見て乘客
も舟子も、ホツト安神の息を吐きし時は、早や
船中の荷物影も留めず、人人は淚と共に如何に
して妻子を養はん、如何にして荷主に申譯せん
など愚痴をこぼすのみなりき、舟子力を合せて
舵も櫓も無き舟を漕出し、四五日を費し辛うじ
て海州の近くへ着きたりけり
る聽くものをして、或は悚として毛髮を豎たし
め、或は失笑腹を抱えしむると雖も、余今其十が
一を寫す能はざるを遺憾とす