5月25日 ○宗敎
李朝以前は佛敎隆昌を極め、國王の歸依信向も淺 夫れ渴して飮を求め、飢えて食を欲するは人の情
朝鮮雜記 (續)
からざりしが、李朝高麗に代つて八道を支配する
に及んで、斥佛尙儒の方針を採りしかば、國內靡
然として儒に歸し、佛を信するものをは愚婦愚夫
と罵るに至れり、されば佛敎は人を感化する等の
勢力なきのみか、僧侶なるもの無學にして他人に
輕蔑せらるゝこと驚くべく、所謂佛敎なるものは
山間の伽藍と、田野に橫れる石佛殘塔の類に、昔
時の面影を殘し、空しく行客の感慨を牽あるのみ
又彼等か崇拜する所の儒敎を見るに、是れ亦殆ん
と名のみにして、各郡各縣孔子の廟を建て時に釋
奠の禮を擧くるに過きず、村夫子は自ら儒者と號
し、兒童に課するに論孟を以てすれとも、學淺く
識なくして、僅に朱子の集註を金科玉條と心得、
退溪栗谷の兩子を仰て、古今人相及ばずと歎ずる
に止まり、朱子以外に一機軸を出したるものなく
又朱子以外に英傑の儒者ありしことを知れるもの
なし、故に冠婚葬祭の制式に至るまて、皆唯其の
制を尙用し、我國は儒敎國なりと、傲然として人
に誇るに過きず、其尙ふ所は儒敎なるべしと雖と
も、唯其表相虛禮を事として、實體道德の源を究
むることなし、而して國內一の碩儒なく一の博識
なし、彼の邦の道德萎靡して振はざるは、敢て疑
訝すべきにあらざるなり、平安道平壤の大學の如
きは、冕冠を被むりたる數十の老書生相會して、
孔子時代の敎育を摸擬するの一劇場たるに過ぎず
甚た笑ふべしと爲す、其他道士といふものあり、
深山幽谷に居を搆へ、草根木皮を食ひ、露を飮み
霞を喫して、自ら神仙と稱すれども、是れ吉凶吝
悔を說て、愚民を欺く奸猾の輩のみ、固より▣敎
に關する勢力を有せず、彼の邦の宗敎は旣に此の
如し、無宗敎國なりといふも豈に其れ誣言ならん
や
なり、是に於てか耶蘇敎の蔓布する甚た速なるを
致せり、蓋し二十年前大院君李勗
蘇敎徒を誅せし時には、其信徒二萬人に及びたり
しと聞く、今日の如き信仰自由の際に在ては、其
數甚た多かるべし、加ふるに宣敎師の熱心なる、
施病院を起し貧民敎院を設け、或は單身自ら內地
に入りて、苦楚を嘗め危險を冒し、諄諄として布
敎に怠らず、勸誘の法勉めざるなし、彼等韓人其
熱心なるに感化せられ、終には一國を擧けて天帝
を拜するの人とならんも知るべからさるものゝ如
し、噫戲、布敎の目的とする所、唯福音を布き韓
人の文化を增進せしめんとするに止まらば、我れ
又何をかいはん、唯其熱心に向つて感謝せんのみ
然れとも其目的とする所、宗敎を以て劍刃となし
韓人の腦を屠つて其の魄を奪ひ、遂には其肉を喰
はんとするに在らば、余は默して止む能はざらん
とす宣敎師の目的彼に在らずんば此に在り、彼の
邦人深く戒めざるべからざるなり