5月29日 ○通貨の運搬
米穀若しくは牛皮牛骨の如き物を買はんとして、 我邦の銀錢紙幣、支那の馬蹄銀は、豪商間に通用 ○仁川
玆に揭げたるは仁川港の圖なり、水を隔てゝ埠頭 ○書房と僮
旣に妻を迎へたるものは、髻を結むて笠を戴く、 笠を戴くものを呼むて某書房といふ、笠を戴かざ 十二三歲の書房と三四十歲の僮、可笑好一對、
○常服
常服には總て白色を用ふ、是れ彼の邦東方に位し 好春色想ふべきなり、
朝鮮雜記 (續)
內地に入るに當り第一に不便を感するは通貨の重
きことなりとす、馬一匹を以てするも僅に二十貫
卽ち三十圓を馱し得るに過きず、而して其運賃は
通常一里四五百文卽ち十四五錢を要す、されは內
地に入ること三十里に及ふ時は、四圓五十錢の賃
錢を要するを以て、旣に其一割五分を運搬の爲に
費さゞるを得ず、彼の邦にも爲換問屋といふべき
ものなきにあらざれとも、其爲換賃も亦一割五分
位なる上(爲換賃銀は▣によりて差ありと雖も今
玆には黃海載寧より京城までのものを擧げたり)、
我邦の銀行の如く、平形引換に直に受取ること能
はず、時として二十日三十日を經るも、受取り得
ざることなきにあらず、不渡りをくらひ非常の迷
惑に及ぶ事もあるなと、實に不信用極まるものな
れば、以て通貨不便の弊を救ふに足らざるなり、
又明太魚或は金巾の如き、內地にて最も需用多き
品を馱し行き、之を賣りて錢に換ふれば、旅費馱
賃を辨じ得ざるにあらざれども、大槪は韓人に蹈
倒されて、泣く泣くも却て元價より低廉に賣棄て
ざるべからざる場合なきにあらず、斯の如きの不
便あるが爲に、一般內地の商業は、却て物品交換
の往時に退步せんとするの傾あり、余公州の大市
に臨むて此新現象を目擊せしことあり、市場にて
の賣上金を運搬するには、萬人一樣其所置に苦し
むが故に、仁川相場一斤に付き八十圓許の鷺の羽
が、百圓內外まで騰貴せしも買手非常に多く、又
沙金を買入れんとするものも多く、是れ亦格外の
高價に昇りしも買手を滅ぜざりき、是れ皆通貨の
不便なるを以て、馱賃等の煩を免れんが爲に、止
むを得ず買收するに因るなり、乃ち沙金、鷺の羽
等が通貨の代理となしたるものといふべきなり、
要するに日本人支那人等の入込みてより以來、商
業の繁榮を來したる現今朝鮮の經濟社會に於て、
猶ほ此の如き貨幣の外通用せさるに至ては、最も
不便の極といふべきなり。
すれども、其他のものは見しことさへ無きもの多し
松籟子曰く、典圈局の有名無實を惜しみ、平壤
惡錢鑄造の止まざるを憎む。
と對峙するものは月尾島なり、島前に橫はれる二
箇の船體は定期航海の郵船なり、遠く沖に泛べる
一箇の船體は我常備軍艦なり、詳しくは後日に記
述す可し、
又妻なきものは三十四十に至るも笠を戴かず、髮
を後頭に編むて背に垂る、
るものを僮といひ、某道令と呼び、又其名を呼ぶ
假令年長なるものは常に笠を戴きたる少年より呼
棄にせられ萬事に就て甚た權力なきなり。
東方は靑きを尙び、靑は白色の重層せし色なるを
以てなりといふ、小兒は紅靑、紫、靑等の衣服を着
す、春風嫋嫋たるの日、野外柳眉開き杏花笑ふの
時、三四の小兒打集りて、新草に戲るゝを見る、
眞に一幅の畵圖、墨客の詩情を動すに足る。