5月31日 ○野鄙
彼の邦人は槪して自屈的なり、乞丐根性なり、吾 貴邦市人僕を訪ふもの必ず乞ふ所あり、知らず 兩班等は痛く恥ちたるものゝ如く、卽ち對へて曰 是れ恐らくは戲言なるのみ、敢て物を乞ふにあ 在留して、醫を業とするの三人あれとも、皆相應 ○京城の金利
京城に於ける金利は甚た廉ならず、質屋の利足は ○正月の遊戲
正月の遊戲は、兩村の人互に敵味方に引分れ、石 ○編み物
彼の邦現今の美術物、一として感服すべきもの無 ○京城の大通路
京城市中にて我が東京の日本橋通とも稱すべき繁 ○南大門朝市
南大門の內外には、每朝黃昏より八時頃に至るま
朝鮮雜記 (續)
人外邦人に對して自國の恥を恥とせざる人間なり
吾人內地に旅行して客舍に宿泊すれば、近傍の韓
人は珍らしげに、室內狹きまて集り來るを見る、
其語る所を聞けば則ち曰く、衣服は木綿なりや絹
布なりや、珍らしき物所持せざるや、歲は幾何と
思ふや、鬚髯は甚た濃し糊箒を造らば如何、眼鏡
は玉なりや硝子なりやなど、評し合ふを常とす、
而して其問ふ所を聞けば卽ち曰く、眼鏡の價は幾
何、藥を所持せざるや、煙草一ぶく給せよ、其手
帖を與へよ等、總て皆乞丐的の言語、慈眼衆生を
視るの本願もいつかは忘れ、厭惡の情を起すこと
屢なり、一日余或る兩班の家に招かる、席上數人
の客あり、密に其私語する所を聞くに、余の所持
する鉛筆を得んと欲するものゝ如し、余倏ち一策
を案じ筆を採り問ふて曰く、
人に物を乞ふは是れ貴邦の禮か。
く、
らざるべし。
に資産を有し、每月平均收入一百五十圓を下らず
といふ。
十圓以下一割にして、十圓以上は七分五釐なり、
又通常相互信用上の貸借或は抵當借入等は五分利
子を以て律とす。
を投け合ふて勝負を決す、其勝負に由りて兩村一
年の吉凶と卜すといふ、されば其初は一の遊戲な
れとも、兩兩火花を散らして戰ふに及んでは、宛
然戰爭に均しく一進一退、一虛一實、互に負けじ
劣らじと爭ふほどに、每年死傷するものも少なか
らず、筑前箱崎八幡の玉爭の進化せざるものか。
きも、笠冠等を馬尾にて編むを見るに、其指先の達
者なること驚ろくに堪へたり、或人評して曰く、
是れ猶ほ踟
むや、巧は則ち巧なれとも、之を移して他に用ゐ
るを得ず、冠及び笠を製作するの巧を他に移すを
得ば、朝鮮の美術豈に今日にして止まんや、然れ
とも此評甚た酷なり、之を敎へ之を導かば、彼焉
んぞ其才能を表はさゝらんや。
昌地は、南大門より鐘樓に至るの大通路とす、支
那人は此間に在て商業を營みつゝあるなり、我居
留地は南山の下、泥峴と稱する橫町にて、商業地
といはんよりは寧ろ隱捿的の土地といふべき所を
占め居るなり、我邦の居留地と支那人の居る所と
兩兩較し來て見よ、我邦と淸國との對韓政策は、
獨り其政策に於て數步を輸するのみならず、商業
に就ても吾は彼れに數步を讓りあるなり、勿論近
頃は我邦居留地人も考へたるものと見え、領事館
を南大門へ移すべしなと唱ふるものあれど、兎角
俗論に制せられて、今に其運に至らず、倂し近頃
は南大門通に我邦巡査の交番所も出來、三四の雜
貨商店を見るに至りたれば、桃李不言、下自爲蹊
の俚諺に違はず、迫迫我邦人の南大門通に移るも
の數を增さんか
で、朝市なるものありて有無を交換するなり、日、
淸、韓の商人各其鬻く所のものを持行き什一を追
ふなり、其狀恰も我邦の緣日に似たり、唯植木屋
を見ざるのみ