6月1日 ○道路
余の始めて釜山より陸地京城に入るや、東萊溫泉 ○農圃
田植の時は農業最も頻繁なる時期にて、早天より 降雨の時は一人として田畝に出てゝ働くものなく 農圃は人屋市街の醜態なるに似ず、頗る整然たり ○鱶肉
鱶の鰭は支那人の嗜好物にして、其價頗る貴きも 余か友武田紫陽なるもの、一昨年全羅道金甲島と ○堤防
朝鮮八道の諸川は平生水少なく、或は全く乾涸し ●東京電燈の擴張設計 東京電燈會社にては豫 ●攝丹鐵道の發起人會 攝丹鐵道は鐵道會議に
朝鮮雜記 (續)
に宿して李別將なるものと筆話し、京城に到るの
驛次を問ふ、別將余か爲に說くこと頗る詳細、且
つ梁山、蔚山、龍宮を經るものと、龜浦、院洞、
密陽を經るものとを二大通路とす、而して前者は
後者よりも迂回せざるべからずと、余其言に隨ひ
後者を取り、溫泉の背後なる高山を攀ち、二里許
にして一小村に出てたり、之を龜浦とす、別將の
言によれは龜浦は京城に達するの大道に接すと、
然るに一條の小徑の外、所謂大通路なるものなし
疑ふべしと雖も岐路の迷ふべきものあらされば、
此小徑を進まば或は大道に出てなんものと、たと
り行行も遂に大道なるものなし、是に於て始め
て別將の說く所の大道とは此小徑なるを知りぬ、
余は痛く彼邦道路の惡しきに驚きたり、歷史を按
するに新羅の世には旣に民に牛車の法を敎ふなど
あれど、如何にしてかゝる道路を牛車の通行し得
べきなど心に感じぬ、釜山より京城まての道路は
蔚山の方もこれと同じく、我邦の里道よりも凸凹
甚たしく、軍隊は一列にあらざれは通行し得ず、
京城より松都、瑞興、鳳山、黃州、平壤等を經て
鴨綠江畔の義州まては道路さまて惡しからず、大
槪は二列の兵隊行軍するを得べきなり、蓋し義州
街道は事大の結果として、支那使臣來往の道なれ
ば、他道よりも斯くは修繕したるなるべし。
家族親戚打揃ふて仕事に赴くなり、其樣は眞先な
る一人は「農者天下之本、
へし、太皷、銅羅、喇叭などおもひおもひの鳴物を
打ならしつゝ之に續き、異口同音にふしおもしろ
く俚謠を歌ひ、笑ひどよめき繰りゆくさまのおか
しさ、處異れば品かある、他鄕天涯の吾人には甚
た珍らしく覺えたり、田に着けば旗を畝畔に立て
樂器を其下に置きて仕事につくなり、晝飯終りて
少間の休息には、再び右の樂を奏して打興ず、日
暮夕陽を負ふて歸るの時も亦同じ、
其降りつゞきたる時には、大切なる田植時をあや
まつも意に介せざるか如し、
兀たるの山麓、杏たるの水畔、老爺鋤を收むるの
時、牧童牛に跨るの處、心事淡淡、風光眞に愛す
るに足る
のなり、されば鱶獵は唯其鰭を切取るのみにて、
其肉は海中に捨つるを常とす
いへるに住居を搆へ、一隊の漁夫と共に此事業に
從事せし時、武田思ひけるは鱶の肉を空しく海に
捨つるはいと惜しきことなり、鹽漬となして釜山
に送らば、又相應の利潤あるも知るべからず、試
みばやとて二三匹の鱶の肉をば長さ二尺ばかりに
切り、僅に鹽して船に積み、釜山を指して漕出し
たり、時恰も夏の初なりければ、二日三日を過き
ぬ間に肉は腐敗して、怪しき臭氣船底より蒸上り
四五日の後は䖧
らずなりぬ、此まゝ釜山に到らば虎列刺病傳染の
媒介にもならんなど、人人に罵らるゝもうるさく
さりとて折角携へ來りたものを半途にして打棄つ
るも心ならず、いかにせばやと思惱みしが、やう
こそあれ洛東江河口を遡りて、顧客を韓人に求め
んものと企てたりき、やゝ漕ぎ上りて鳴湖といふ
所へ着きける時、久しく其まゝにして船底に閉ぢ
置きたる鱶肉を取出して、河岸へ運び上るに臭氣
鼻を衝き、䖧
も、肉にはさして變りたることもなかりけり、時
に多くの韓人ども集來りて賣らんことを求む、一
斤若干つゝなりといへば彼等はさして過格なりと
も言はず、これは大なり、かれは小なりなど評し
合ひつゝ、臭氣も䖧
て去り、忽ちにして肉は盡き果て、おもはざる利
益を得たりしとなん
たるものもあれど、少しく雨降る時は水量倏ち增
し、降雨數日に亘らば洪水汎濫、淊
を浸す、故に彼の邦人は成るべく河畔を避けて、
耕作を營むを常とせり、是れ堤防事業の發達せざ
るが故なり、されば良地の耕すべきあるも、種子
を下し苗を植ゆること能はざるなり、縱令折角種
子を下し苗を植ゆるも、洪水の害を受るときは一
粒の收穫も覺束なきを思へば、耕すべきの良地も
見す見す禽獸の奔るに任せざるべからさるなり、
例を近きに引かば、釜山より龜浦を經て金海に達
するの地、洛東江の三角地の如きは、方數十里に
して頗る良地なるにもかゝはらず、徒に荒蕪に委
せて一鋤も加ふることなく、萬斛の收穫を委棄す
るが如きは、水を恐るゝが故なりと雖も、若し堅
固なる堤防を築き、水勢を殺ぎて汎濫を逞うせざ
らしめば、年年の收穫莫大なるべきに、彼等韓人
は手を拱して天然の地形に歎息するのみなるは、
甚だ愚なりといふべし、況んや此三角地の如き、
大槪五歲に五回位の水害を蒙るのみにして、それ
さへ河岸に植ゆるに竹樹を以てせば、甚だしき水
害を蒙るに至らざるべしと聞く、是れ豈に一擧手
一投足の勞ならずや、噫、彼の邦人は唯唯天然的の
好地勢に種を下し苗を植ゆるを知るも、人工を以
て天然の惡地勢を變じ得ることを知らざる也
て淺草米廩構內に發電所を新築中なるが其工事は
目下三分通り出來せし由にて來十一月中には是非
共新肴町の本社を淺草新築工場へ移し同時に茅場
町、錦町、及芳原の三發電所を廢し淺草に合倂する
豫定なるが其設計は千二百馬力なり之に麴町發電
所五百馬力、新肴町發電所五百馬力を倂せ二千二
百馬力なれば槪算一馬力十二燈とするも三萬燈近
くの需要に應ずるには差▣なかるべしと
於て延期する事となりたれば發起人諸氏は去廿八
日大坂に於て集會し第七議會に對する運動方法等
を講究したり