6月6日 ○饗應
彼の邦にて賓客を饗應するには我邦の如く山海の 或る人曰く、三港及び京城の領事館などにて、各 ○我が對韓策を評す
京城王居の近傍に住する識見家、余に語て曰く、
朝鮮雜記 (續)
珍味を陳列して、賓客を醉はしめ飽かしむる等の
ことなく、假令貴賓を招待するにも、梨子、乾柿
栗子の類と、豚、羊或は家鷄、雉子、野鴨等の鮮
肉、若しくは烹たる肉と魚類一二品、漬物二三品
を一つ膳に載せたるを持來るのみ、酒は我邦の小
き藥罐やうのものに盛りたるを捧くるのみなり、
而して酒二三行位に至れば强いて勸むることをな
さず、一甁の酒旣に盡くれば又再び持ち來ること
なし、此習慣のみは頗る嘉みすべきなり、然れど
も馬食するは彼の邦人の特色にして、料理萬端は
總て僅の珍味を食はんよりは、假令味無きものな
りとも飽食せんことを欲する風習なるを以て、格
別に味無き物と雖ども腹のふくるゝまゝに食ふを
常とす、聞く千住の商某六十椀を喫せしと韓人も
亦三舍を避くべし、嘗て聞く野蠻人の胃の腑は開
化人のよりも大なりと、韓人の如きは我等の半盂
にて滿足する所の飯を二盂位食ひ、さして腹のふ
くれたりといふ樣子をなさざるは、是れ亦野蠻の
徵候なるべきか、以て饗席に於ける彼等の擧動を
想見すべきなり、
國の使臣を招待し宴會を開く時は、成るべく饗す
るに洋食を以てすと、是れ韓人の喰意地强く、若
し日本料理を供すれば他の外國人が未だ一箸も下
さゞるに先ち、遠慮會釋もなく、喰散らして、他
客の迷惑となるが故なりといふ。
我れ貴邦文物の盛なるを羨む、然れども其實なき
を惜しむ、貴邦の弊邦に臨む、常に嚴容威を以て
し、而して其西洋に對する常に溫容柔を以てす、
われ是に於て貴邦の常備兵は、弊邦如き貧弱國を
恐喝するの器械にして、强敵に對しては一の裝飾
に過ぎざるなきかを疑ふ、初め元山防穀談判の破
れんとするや、大石公使は大に虛勢を張り、國旗
を捲いて歸國の狀を示し、遂に恐喝的裝飾兵を用
ゐんと擬す、我が外務督辨は彼の手品に乘り掌
上に弄せらる、頗る歎すべきなり、而して今の大
鳥公使の駐在せらるゝや、專ら德を以て敝邦を服
せんと欲するものゝ如し、彼れ大鳥公使余等に向
ていふ、大石は貴邦人の感情を害したれば抔と、
如何にも我は其和解をなし、日韓の交際をして圓
滑ならしめん爲に來れりと、いはぬばかりの句調
なりき、されば大鳥公使と大石公使とは、其政略
全く表裏をなすものといふべし、彼は空飛ぶ鳥に
して、此は地上に橫はる巨石なり、名稍自詮、昨
は硬、今は軟、政略の表裏怪しむに足らずと雖も
確然たる方針なき是れ卽ち貴邦外交の策なりとい
はゞ、余は竊に貴邦の爲に其策の拙なるを借しむ
之を曩者に徵するに明治十七年暴徒相擁して、貴
邦の公使館を襲ひたる時、貴邦は我韓廷に向て嚴
しき談判を開きし末、其が償金を取りしが、後直
に返付したりき、是れ或は貴邦敝邦の貧弱なるを
憐むの慈悲に出てたる積なるべきも、敝邦人は然
か思はざるなり、彼の暴動たるや、特り我邦人の
みにあらずして支那兵も加はり居りしを以て、貴
邦は支那政府に向て償金を促したれども、支那政
府は頑として貴邦の需に應せざりしに由り、我韓
廷のみより償金を徵して、支那を不問に措く時は
弱國を苦しめて强國を恐るゝの謗を免れざるを患
ひ、一旦取りたる償金を返付して、竊に恩威を布
んと謀れるなりとは、一般敝邦人の評せし所なり
されば償金の返付を以て、有り難しと德に感ぜし
ものとてはなく、却て日本政府の膽の小なるを笑
ひたる有樣なりき、今日の大鳥公使の德化政策も
或は斯るものにあらざるなきか、且つ韓廷は慾張
主義なるを以て、德といふ口頭ばかりの德には感
服せす、每日宴會を催し馳走をなし、をりをりは
一萬兩二萬兩の袖の下を遣はすときは、日本政府
は慈悲深し感心なりと、だんだん貴邦の恩に歸服
もすべし、さらずは何れの日か德化政策の效果を
見るべき、然れども大鳥公使は貯蓄主義にて、每
日十五圓づゝの交際費も、銀行へ預くるといふ經
濟家の由なれば、夜會も袖の下も望むべきにあら
ず、さても貴邦の公使は書生か老耄の外なきにや
と、言頗る皮肉を穿てり、余此言を聽き憤慨措く
能はざりき、