6月7日 ○氣候
朝鮮は我邦と緯度を同うし、而して彼此氣候の差
七八月平均 一二月平均 右平均表は攝氏の寒暑計を用ゐたるものなり、平 ○虎と山猫
虎は朝鮮八道何れの地を擇ばず、普く捿むものと 又彼の邦に山猫なるものあり、躰の長さ殆んど三 此獸は決して人に向て害をなすことなく、唯時時 ○安城の郡守
安城の郡守を洪某といふ、頗る暴斂の聞あり、曾 ○皷樓
地方の官衙の入口には必ず皷樓を設く、朝夕雜役 ○京城の鐘樓
京城の中央、十字の康街に鐘樓あり、鐘の直徑一 ○路傍の小竈
彼の邦の內地に旅せし人は必ず道側に、石を積み 純樸の風に非ず貧なるが故のみ
○支那人
八道到る處の市場、支那人を見ざるの地なし、三 點滴能く石を穿つ小に忽にせざるもの油斷すべ
朝鮮雜記 (續)
大に異なるは、潮流の關係に因るなり、降雨の量
は槪して我國より少なし、慶尙道の沿岸は冬時と
雖も甚た沍塞を覺えず、忠淸道の境界、鳥嶺以南
は、我邦の東京と氣候相似たるが如し、鳥嶺を踰
え忠淸道に至れば、氣候頓に寒きを覺え、始めて
朝鮮の塞國なるを知る、京城は道路氷結して春風
氷を解くの時は、家屋の傾斜するもの甚だ多し、
京城より以北、平安、咸鏡、黃海の三道は、寒氣
殊に甚だしく、言語猶ほ氷結するかを疑はしむ、
想ひ起す、ナポレオンがモスコーの役、士卒指を墮
すもの甚だ多かりしを、余の友人某なるもの亦た
慶尙道洛東にて、足指を腐らしたるものあり
仁川 三十五度 零下七度
釜山 三十二度 零下五度
元山 三十四度 零下十度
安道平壤以北は冬時寒氣猶ほ甚しきが如し、昨冬
余の旅行せし時にアルコールの寒暑計の凍結する
を見たりき。
見え、殆んど我邦に於ける狼の如し、余は彼の
邦到らざる所なしと雖も未だ一回も虎を見しこと
なし、然れども昨年釜山を去ること二里の金井山
に於て見たりといふものあり、王城に現れ出でた
ることもあり、又元山の市に出でたりと聞きしこ
ともありけり、其恐るべきは冬時餌に乏しき時と
乳兒を携ふるときなりといふ、虎皮一枚の賣價普
通三十圓內外なりとす、
尺許、毛皮の繡紋豹に似たり、唯腹部は黃赤色
なるのみ、我邦人曾て釜山に於て之を虎の兒なり
と思ひ、數金を投じて之を購ひ歸れり、衆人之を
見て悉く虎の兒となし、甚だ珍重して養ひ置きけ
るに、一日其鳴き聲を聞き、始めて山猫なるを知
れりといふ、
家難を得んと欲して民家を襲ふものなりといふ。
て其配下の民某、賭博に贏ち數千金を得たりと聞
き、下人に命して之を捕へ獄に下さしめ、之を笞
つこと數日、罪狀を設けて曰く、汝賭博をなして
國法を犯す、其罪甚た輕からず、然れとも汝若し
贖罪金を致さば以て其罪を免れしめん、某辭する
に一物も有する所なきを以てし、終に獄中に死す
蓋し郡守、某の賭博に輸けたることありて、此慘
死を遂けしめたりしとなり。
人が此樓に上り、喇叭を吹き銅羅を鳴らし、或は
太皷を擊ちて門の開閉を報す。
間許、每夜之を撞いて四門の開閉を報す、閉門後
は假令何等の急事あるも、城壁を越ゆるにあらず
んば出入するを得ず、韓人は元來夜行ぎらいの人
間にして、夜の十時を過くれば、街區寂莫として
無人の境に似たり、唯聞ゆるものは戶戶衣を擣つ
の聲のみ、又小兒は點燈後決して外出せざるの
習慣なり、是れ潑皮無賴におびやかさるゝが故な
りといふ、
其內にて火を焚きたるいと薰りたる小竈を見ん、
是れ彼の邦の旅人が自ら炊きて食事せし跡なりと
す、彼の邦の貧しき旅人は、土製の小甁を荷ひ米
を買ふて自ら炊き、なるべく旅舍にて食事をなさ
ゞることを務む。
三五五列を成し、市を追ふて內地を徘徊するもの
幾百人なるを知らず、其の鬻く所の品は千人一樣
針、釘、唐紙、唐糸、燧石、摺附木、烟管等にして、稍
資本を有するものは金巾等を鬻くもあり、韓人と
混して市場に店を張り、麤食を喫し麤衣を着け、
勤儉能く自ら奉し、遂に大に貯へて歸國す、我邦
人徒に奇利を貪らんと欲して、這般の勞働を嘲り
支那人賤しむべしと爲し、一事成すなく産を破て
空しく歸國するもの多し、噫支那人に及はざるや
遠し。
からず