6月5日
朝鮮の擾亂 (續報)
◎行商者呼戾しの照會 朝鮮政府より我か在駐
外務官に向け所在暴民騷擾其危險少なからさるに
付貴國商人の內地に行商する者は悉く呼戾された
く尙ほ自今行商に出てんとする者も差止められた
しと照會し來りたるも各所に散在居所常なき多數
の行商人を呼ひ戾さん便もなく又區域を限らす一
體に行商を差止むると云ふは事體輕からさる儀な
れは我か當該官に於ては昨今出願する者に對して
は唯其意を諭すに止められたる由
◎外國人は無事ならん 昨年暴動せし時の東學
黨か目的とする主義は種種茫漠の中にも外人排斥
の精神充分に想見せられたり然るに這回の擾亂地
には日本人は別項記する如く十數人滯在し此他支
那人及ひ歐米人等の旅行する者鮮からす或は彼等
か其主義精神を實に現はし多少の妨害を加ふるこ
となきや大に懸念なき能はさる次第なるか近頃同
地方に於ける佛國宣敎師より在仁川某洋人の許に
本年は更に昨年の如き擧動なく寧ろ却つて親和を
重んする方にて無事なりとの由を報し來れりと
◎白山の戰 白山の戰に於て東學黨大勝利を得
たるが其詳報に據るに官兵は前後二軍に隊を別ち
て進擊を始めたるに前軍は敵に圍繞せられ全く敗
れを取り此報直に後軍に聞えたれとも最早救援の
見込なく却つて我隊まても危急の恐れあるより其
儘兵を麾きて本營に引き取れり然るに本營の大將
は武士にあるましき怯懦の所業なりとて大に憤怒
し遂に將校は首を刎ねられたりと大將か斯る處置
に出てたるは寧ろ他に深意のありたることならん
も其結果は却つて反對に出て禦くへからさる危險
を避けたる爲め斯くも殘酷の處罰を受くるならば
斷然出陣せすして處置せらるゝの優れるに如かす
と不平を鳴らす者少なからさりしと云ふ
◎糧米の欠乏 洪招討使か八百の兵を率ゐて仁
川より群山に向ひ早速全州に着し監營を固守し籠
城的に敵と睨合ひを爲し接戰を試みさる間に城內
糧食缺乏し粥を啜りて僅に飢を凌き爲めに病患者
を發したる由豫て風說する所なりしか如何に東徒
の勢猖獗なればとて餘りとしたることゆゑ大に疑
ひを存し確報の到るを期し前便にも其報道を見合
せ置きたるか其後確かなる邊より聞く所に據れは
全くの事實にて餘程困難の模樣なりしか此頃に至
りては萬萬斯る患ひはあらさるへしとの事なり
◎轉運委員擒となる 仁川轉運局委員金悳容氏
は性質溫厚にして內外人の評判宜しき人なるか先
頃從者二名を引き連れ群山より漢陽號にて各處の
貢米を集むる爲め出張したる所法聖に於て東學派
に出逢ひ二名の從者は卽坐戮殺せられ自身は擒と
なりて何處にか連れ行かれたりと
◎慶尙道の東學黨 慶尙道は何かに附けて元來
人氣惡しき土地柄なり而して昨年より本春に掛け
ては地方官の苛斂無情に不平を鳴らす者殊に多き
を加へ曩に咸安郡に暴動あり頃者殊に金海府に民
亂ありて是等は一として不平熱の溢れ出てたる結
果ならざるはなし然るに又又最近報に據れば豫ね
て洛東江源の洛東山邊より此方尙州地へ掛けて出
沒し暗暗忠淸全羅の同志と氣脈を通じ居たる東學
黨員昨今全忠二道の同志と氣焰相呼應したるもの
にや漸く勃興し始め其擧動兎角穩ならず太邱監司
以下各地方官は警戒頗る怠りなしと云ふ
●東學黨全州を略取ず
(六月三日正午十二時仁川特發電報)
東學黨の勢ひ益蔓延して官兵又敗れ大將戰死す全
羅道の全州府は東學黨の略取する所となり電報通
ぜず朝鮮政府は大に狼狽して更に兵六百を派遣せ
り