6月7日
朝鮮の擾亂 (續報)
◎地方官悉く更迭せん 這般騷亂の原因は種種
にして一槪に論すへからすと雖も各地方官の苛稅
重斂こそ其最たる要素と認めらるゝを以て韓廷有
司も大に爰に顧る所ありて該地方は監司府使郡守
縣監に至るまで一大交迭を斷行し以て聊か亂民の
心を和らげ目下の急を緩めんとに決議せし由
◎全羅監司の更迭 政府は現任全羅道全州監司
を罷め新に外務協辨金鶴鎭を以て其任に該らしめ
急速赴任せしむる由氏は去る明治十八九年の間慶
尙道東萊府伯兼釜山監理使に任し後ち承旨の官に
在ること三年、而して今より三年前以來外務協辨
の椅子にあり當年旣に耳順を超えたる老骨なるか
敢へて稱すへきの才幹なしと雖も夙に淸廉潔白を
以て朝野に名を博する人なれは氏の赴仁は全羅一
圓の黎民をして稍稍滿足せしむるならんと云ふ
◎長興府使も亦た更迭す 長興も亦た騷亂地の
一部なり現任府伯罷められ曾て仁川監理使たりし
朴某之に代ることゝなり再昨四日下仁、便船次第
急速赴任の筈
◎官兵東軍に降る 過日東軍の略取したる全州
は京城を距ること六十餘里全羅道第一の都會なり監
營あり新式の兵七百及土着の兵四百を備ふ金文鉉
之が監司たり監司は行政、司法、軍權を掌握し其威
力頗る强大なり本年東學黨の起るや政府は最初は
例の暴動と認めて敢て意に介せざりし然るに東學
黨は昨年とは其軍略を異にし地方侵略に力を用ひ
す一擧に全州の監營を陷れんことを謀る政府は之れ
を知りて大に狼狽し數百の援兵を出して之れを追
討したり然れども東學黨の勢は頗は猛烈にして遂
に全州の監營を陷し武庫を發きて砲銃刀劍を掠奪
して數倍の勢力を增したり玆に於てか監司隷屬の
兵士等も大に恐怖し遂に東學黨の軍門に降りて彼
の味方と爲り以て官軍に敵するに至れり東學黨が
數日の間に全羅一道を席卷し又容易に石城を陷し
たるもの全く以上の兵器を得たると官軍の兵士を
味方に引入れたるより出てたるものなり