6月8日
朝鮮の擾亂 (續報)
一烏合の軍勢とも云ふ可き東徒の向ふ所殆ど一
敵無きが如し以て朝鮮官軍の如何を推知し得可
し昨時事子韓の兵制に就て報ずる所詳かなるも
のあり左に轉載す
◎朝鮮の常備兵 と云ふべきは京城に屯營するも
のにして(尙ほ地方に少しの常備兵的のものあれ
ども曩に京城に入りたる儘未だ歸營せす)實際の
兵員は四千人許りもあるべく之を四營に分つ一營
の員數は稱して千五百乃至千六百と云へどもこは
兵士の手當として官より給與を受くる時の目安に
供する虛數にして實際は一營に一千內外の兵士を
見るのみ故に內實の兵員と表向の總員との差に相
當する兵士への手當丈けは各營の上長官に於て私
消するか分配するか何れにしても正當には支拂は
れざるなり而して隊伍の編成は十人を最下級の組
となし夫より二倍宛を增して名を變へ隊を組み次
第して一營をなし一營に長たるものは權威なかな
か盛なりと雖も兵に將たるの才幹技倆は全くなし
と云も可なり故に平時に於ける兵士の調練等は我
日本にて云へば曹長位の格式の人物專ら之を司
り米人デニー氏之が師範役たる位にして將校は常
に袖手傍觀し居るのみなれば號令の下し樣すら辨
へざるものあり、此の弊や實に級階の上る程甚し
と云ふ平時の有樣旣に斯くの如くにして士氣更に
振はざれば是等の將校兵士にして能く敵と戰ひ能
く敵を敗らん事到底望み得べからず況して是等兵
士の師範役たる米人デニー氏は曾て我神戶の稅關
に雇はれ居たりし人物にして兵事には餘り練達し
たりとも見えざれば此の敎を受くるものゝ手竝は
察するに餘りあるべし然れとも銃砲は四營とも米
國製にして製式亦同一なれば此點稍稍見るに足る
べしと雖ども暴徒鎭撫の爲めとして旣に京城を繰
出せし三千內外の兵士中には銃器彈藥を敵に奪は
れたるものも少なからざるべし此の外朝鮮の兵員
を彼の地に渡りて彼の國人に問へば至る處にて此
處にも彼處にも幾千幾百の兵ありと左も誠らしく
答ふれども
◎實際の兵員 にはあらずそも朝鮮に於ける往昔
の兵制は屯田兵の組織に依り頗る時宜に適中し居
たりしものなるべく藩あれば玆に土着の兵あり、
隨時徵集訓練して萬一の變に備へたれども星移り
物變りて折角の制度も次第に弛廢し其極、戰陣の
實役に稍や服し得べき兵士の實數すら非常に少な
く武器亦之なきにも拘らず泰平に慣れたるの餘り
是等の實地を調査して實力を養ふの擧を企つるも
のなく因襲の久しき今尙之を改むる能はずして地
に依り場所に從ひ徒に何千の兵ありと誇稱するに
過ぎず且つ郡府縣等官衙の所在地には兵器を藏す
る庫あれども曾て之を開きたる事なくその兵器は
何れも錆び切て僅に其形を存するのみ某國の士官
同國漫遊の際此の武庫の一見を至る處に求めたれ
ども封印の儘前任者より受繼ぐの慣例にして曾て
開きたる事なければ今更之を他國人に示し難しと
何れの管守人も之を謝絶したるよし依て士官は窓
より竊に內部を窺ひしに物の用に立べき器具は殆
んど目に止らざりしと云ふ又