6月15日
朝鮮の擾亂 (續報)
(全州陷落以後の狀勢)
◎韓廷狼狽 五月卅一日全羅道の東徒は忠淸道
の同志と相應じ全州を攻めて之を陷る是より東軍
の勢氣十倍韓廷の狼狽一方ならず
◎晉州襲はる(五月卅一日) 慶尙道監司よりの
急報に曰く先きに東學の一魁首白弘錫を殺戮した
りしに黨人數萬名不意を衝ゐて晉州に闖入し大に
城內を騷がせりと右晉州城と稱するは釜山を去る
僅僅三十里の地而して慶尙道に於て唯一兵營兵使
を置きたる所濠深く壘高く中中要害の場所なる上
木綿の産地として八道に名を知られ其産額も亦年
年二三十萬圓に下らざる所なれば此地の騷亂は單
に政府の爲め迷惑なるのみならず其商業に影響す
ることも又大なるべし
◎報恩危し(六月一日) 東學黨の者更に報恩縣
に其勢を聚めたる爲め邑內將さに陷沒に至らんと
す之を救ふは唯京城軍を至急に發送するに在りと
淸州營將の飛電
◎公州以南は國家の
有にあらず (六月二日)
忠淸道監司の報に曰く公州以南消息全く通ぜす而
して前の全羅監司金文鉉は難を免れて本營に步み
來りたり今其言ふ所によれば公州以南は今や國家
の有にあらざる實況ありと
◎全州四隣の通信(六月二日) 黨兵の昨一日全
州監營を陷し入るゝや前の監司は走つて山寺に身
を避けたり慶基殿には太祖の影像を奉祀せるが故
に禮曹堂上を派遣して奉審し來るなり全州電局は
亂徒に繞阻せられ少しも通信することを得ず因て
錦營より負商牌を設置して全州領に至り急報を以
て忠淸の公州に遞送して電通するなり
◎巡邊使出立(六月三日) 兩湖巡邊使李元曹
(兵使にして七十の老將曾て人望あり)西營[平安
監營]の兵丁を率ゐ今朝忠淸道の恩津に向つて進
む蓋し彼の徒の前路を防阻せんが爲めなり
◎忠淸の黨勢愈愈熾なり(六月二日) 錦伯(忠
淸監司)の電報連りに達す其云ふ所に據れは道內
東徒處處に蜂起す列邑の官屬皆大に恐れをなし暇
を乞ふて去る者近來極めて多く守宰は空しく手を
拱するのみ靑山縣(報恩を去ること遠からず)には
數千名の黨人目下屯集し居り形勢嶮惡なり
◎監司空しく中途に彷徨す(同日) 新任全羅監
司金鶴鎭は公州まて到着したれ共前途障妨多く進
み得ざるが爲め目下同所に滯在中なり
◎征兵戰ふを敢てせす(同日) 江華營の兵丁群
山浦に滯留したるまゝ空しく騷亂を傍觀してあり
◎軍糧(同日) 京兵は軍糧頗る窮乏せる爲め忠
淸道內の浦米にして京司に上納すべきものを悉く
巡邊使の營に移し以て軍糧に充てしむと云ふ