10月26日
●サラミ 天眼生
サラミとは韓語人の義なり、此に朝鮮人の面目
を敍するの題とす、サラミと云へは韓人と云意味
に通する樣習はゞ、簡便なるへしと思うて此語を
特に標置し以て新例を開くの意を表す、讀者諒焉
二十年來、燈臺下閣してふ諺を國家の上に實行し
西洋と云へば緣も益も無き事迄學びもし注意もし
乍ら却て直接密着の東洋には、皆目、心を留め
ず、之が大體の形勢すらも說く者無かりし邦人の
腦膸には、朝鮮に關する智識を印すること極めて淺
微なるは今更言ふを須たず、從て韓廷改革の義軍
善後策のと云ふ事を唐突に論斷し來る共、畢竟政
治家の坐談に止まれば、則ち醫者の抽斗違イ、方
劑の盛り誤り、他の病を增長させぬこそ僥倖なる
べけれ、
去れば予輩は朝鮮に關して多きを世人に求めず、
只先つ朝鮮を識れと云ふの一事を以てせりき、千
策萬論は其如何の國なる乎を明明地に識了したる
後の事と信したれば也、然るに義軍一たび鷄林の
野を覆壓してより、官吏征き、志士赴き、新聞記
者至り、高麗半嶋は忽ち世論の燒點と爲り、八道
の記事は流行の好題目と爲り、於焉の間早く旣に
幾多の朝鮮通を釀成し去りて、所謂識るの一字終
に缺くる所無きの觀有らしめたり、是れ誠に國民
の對外的學問上進步の一段階を作る者にして極め
て慶事と稱すべき也、
然りと雖とも情僞之動は聖人猶究め難しと爲す所
にして、同人種の間に在り日夕相來往談笑する一
個知人に關してすら、往往己れの料り及ばざる情
僞の變あるものを、況や是れは狹くもあらぬ一國
を相手とし幾千萬人民の氣風を識らむと云ふ一大
事、爭かで一朝夕に辨じ得べき、皮の下に皮有り
情の裏に情あり、一剝再剝、寸透尺貫、漸くにし
て氣質の根抵に穿着せずむば、『いかに彼人なり迚
ヨモヤ此樣にヒドキ人とは思はざりしに』と云ふ
世間有勝の驚歎をば國際に實驗せむこと必せり、
サラミ朝鮮人彼は如何なる人種ぞ、如何なる國民
ぞ、如何なる境遇に在る者ぞ、如何なる氣風を成
す者ぞ、種族より言へは、彼は正に我日本人と大
部分血脈を同じうせり、彼れの文化は往古、我の
先導と爲りたるも少からず、彼れの衣冠を觀れば
煥乎として儀に近し、彼れの文字を見れば、粲然
として澤に富み、彼れの骨相容貌を視れば綽綽然
として品に饒かなり、若し朝鮮人にして是等の點
に由りて正當の理想を描き得べしとせば、彼は假
令ひ半開の國民なり共、野蠻人種にはあらじ、▣
ゆべきの後進たりとも、嫌ふべきの隣保には非ず
と雖とも、實際に於て、是等の推測は徹頭徹尾中
る所なく、殆んと役者を紳士、錦織剛淸を大忠臣
と誤認する類なりとす、
世には豫想外と云ふ事多ければ、人は才の老くる
に從ひ物の買もかぶりを▣むるが故に實際家ほど
人間を殺風景に蹈み倒す者は無し、去れど如何な
る實際家が思ふ存分侮料とも猶買ひかぶりの遺る
べきは朝鮮人品の位なり、如何なる事件が案外の
思を惹起さしむとも、理想に描ける所と相違の甚
しき此上有るまじきはサラミの氣質也、實際を語
れば虛言に似たり、百聞不如一見の語は特に此國
の爲めにこそ作られたらめと思はるゝは實にサラ
ミの情僞なり、
サラミの衣食住
朝鮮人の面目心胸を究めむれば先つ其衣食住を察
せざる可からず、韓人の衣冠は頗る高古の極あり
と雖とも、咸が斯く立派に裝束し得る次第にはあ
らず、髮を結ひ冠を着けむには役所に冥加金を納
め所屬の邑人を饗應する等の費用を要し、件の金
無き者は被髮を編束して頂を露はし、稱して小家
と爲す、馬夫遊民は勿論、農夫の中にもチヨンガ
ー甚だ夥し、而して彼等の衣服も從て疎末にて槪
ね夏は垢染みたる布のチヨツキ然たる上衣一枚と
團袋其れも全くの白衣にて彩絶えて空し(但し洗
灌は奇妙に丹精也)冬季に於て彼等の一半は監視
の受人無き刑餘人の如く金巾又は木綿を水淺黃に
染めたる綿入を有すれども、一半は其れも協はず
白木綿の綿入密綴を重實とし、金持又は役人は朝