10月27日
●サラミ(二)
一 天眼生
次に食はと問はゞ、多數の人民一般に米の飯を常
食とするは結構なれども、菜と云へば半腐れの鹽
魚、蟲の湧ける鹽辛、赤き唐辛味噌、かび糞の臭
イ高き味噌汁、汁多き漬物等の一種又は數▣に止
まり、口の贅澤は唇の噤まるる程に酸ばゆき濁酒、
激烈一方の燒酒、鹽黃粉に包みたる餠と尋常の飴
油いりの鷄卵、鷄肉の丸煮、味無き豚肉と硬き牛
肉となり、但し菜の原料は肉、野菜共に强ち求め
得ざるに非ざれ共、大事の醬油は唯だ鹽からきの
みにて味と云ふ者更に無く、ダシとすべき鰹節の
類皆無なるが爲めに、韓人の食は畢竟鹽と米との
二味を出でざるなり、
叉手住の點に至てはむさ苦し共穢し共形容のでき
ぬ程劣等也、新網の貧民窟すら見舞たこと無き都人
には筆の上にて朝鮮の住居を紹介すること實際困難
なり、今其一斑を言はゞ、先づ日本の裏長家より
も一層低き平家の中を割て部屋、勝手、臺所と爲
ず、ソノ部屋は三疊四疊廣くて六疊に過きず、天
井もなく明かり障子もなく、床は土より成り、床
下をば竈の煙口を通じ裏の方へ拔ける趣向と爲
し、三伏の頃にても遠慮會釋なく火責めを爲す、
臺所には水甁、竈、膳、椀等露はに排列し有り、勝
手は廣き代りに、薪も藁も廐も廁、豚小屋もヒタ續
きに場所を取り、此中に西洋の女服然たる垢布を
着たる家婦が、手鼻液かみたる儘に漬物を抓み出
し、煤煙まびれの枯魚を御手ヅカラむしり給ふ、
其間に幾萬無數の蒼蠅、吶喊して膳上に逼り、黑
胡魔の飯にやと訝かりつゝ箸を執れば、ブーンと
飛散し、又も寄せ來るうるさゝ、片手に井(皆一
膳盛切り也)を蔽ひつゝ、片手でヤツト咽に詰め
込めば、早汁の中には蠅兵の溺死を見る、水は井
戶あるは珍らしく、大方川より汲めるものにて、
疑も無くバチルスの棲家なれ共、衛生の二字若し
微塵にても念に殘らば半日の生存も六かしき故、
近來文明にかぶれた我我日本人もチヤンと勘辨を
据ゑ、美味!美味喫了!抔お世辭を竝べて唯一枚
祕藏の薄べりなりと釣り出し、ヤアヤア小家、木
枕携來!と芝居の臺語めかして橫になる、此時迄
も去らぬは例の蠅なり、眼の中にも飛ひ込みかね
ぬ勢にて斷えず晝寢の夢を衝き、枕元の緣側には、
大木を削つて舟の如く爲したる便器、風ある每に
異臭を送り、愛想の積りで傍に寄りくる韓人、に
んにくの常食に腸迄腐らせ、憚らず吐息を吹き掛
けて目の眩さうにさする次第也、夜は一段心安か
らず、壁に仕込みし焚火の臺に松の節を燃さする
に非れば石油の手ランブに炭素を吹かせて一室を
黑くする外には燈火の明を買ふ能はず、先づ日沒
を限りに闇黑に入り、席の上にゴロリと寢た切り、
跡はチヨイと新聞の續き物を讀まう抔の贄澤は愚
か、日記のつけ樣もなく、尤晝の疲れに橫になれ
ば最後、忽ち白川夜舟を漕ぐべきに、其れも協は
ぬは朝鮮名代の床蟲の襲來也、此床蟲と云ふ奴、
前世如何なる魔緣ありて人間に仇するにや、形小
なれども觜銳く、體微なれども口に毒あり、時黃
昏に達するや否や、例の土床よりソロソロ這ひ出
で、襟の中、股の裏、ところ嫌はず刺しかける、
火を把て檢すれば、席の緣を傳ふは行列の如く、
木枕の戲隙より打出るは遊擊と見えたり、捻ねツ
て潰ぶして、着物を着替へて、股引の口を緊締て、
橫に爲ツて見たり仰向に爲ツて見たり、樣樣の工
夫を附けても、終に無量百千萬の蟲兵に敵する能
はず、うつらうつらと夜を明かす外は無し、此當或
に加ふるに蚤蝨も亦負けずに攻め來り、且つ蚊帳
も無れば蚊軍得たりと上より攻め、其聲の喧しさ
雷の如く、鋒の銳き針攻に似たり、去れば此四敵、
玆に其一有るも普通丈夫を泣かしむるに足るもの
を、盡く聯合して攻め寄る事故、人此境に入れば
只恍惚として我身一つを持餘さゞる莫く、如何な
る沈着家も禪定の力を失ひ、如何なる耐忍家もコ
リヤ協はぬと叫ばざる無し、同志の一人『豪傑商
賣モー懲り懲りよ、何は無くても蚊帳の中』と灑
落しは實地の白狀なり、尤冬となれば此土窖の如
く土牢の如き住家も暇の一字に不足なく、髯も冰
り足指も殞つる寒氣の中より、一たび室內に飛込
めば、オンドル(床下の焚火)の力にて忽ち夏の
暑さ程になり、赤裸の儘にて汗したゝか出れば、
冬は結句凌ぎよしとなり』
邦人の新に韓地に赴く者、釜山仁川は日本人の住
家に目を奪はれ、左程にも感ぜねど、一たび京城
に入れば、何人も喫驚せざるなし、地は是れ八道
隨一王城の在る所、大門高壁、寫眞の我に告げし
所、衣冠文物、曾て目に留まる所、如何に豫想外
迚いかで斯くまでに陋穢下劣なりとは思ひ設くる
者あらむや、一步一歎、一路一槪、彼方に見ゆる
は王城とな、あれでも乎、此方の町は朝鮮の日本
橋とや、何としたる事ぞ、イヤ此狹き路を橫ぎる
溝は、下水と糞尿の吐き場所なる乎、サテモ▣
し、溢れし液に足袋を瀆しぬ、去るにても此臭イ
は!此異なる臭氣は果して何、あはれ此身は馬渤
牛溲有らゆる黴菌の中に塡まる也、前面より來る
は高等の官吏なるべし、避這路避這路、警蹕の聲?
彼の轎の奇態さよ、シテ此街上の群は商人と云ふ
のか、丸で立ン坊の共進會、イヤハヤ驚き入ツ
たり、疾く戾らむ、宿に歸るべし、昨夜第一等の
旅館と云ふに着きて神川の下宿屋よりもひどしと
歎ぜし吾身、今ぞ日本家の難有きを知りぬ、イカ
にも居留地は極樂、泥峴は天人の捿家なりきと
道はざるは有らず、