10月30日
●サラミ(四)
山川草木市街村落
悉く單調無味
朝鮮に秀靈の山なし、山と云ふは甚だ嶮峻ならず 大邱、晉州、全州、松都等有名なる商賣繁昌の都 顧ふに朝鮮文化の退步に就ては制度の不完全、官 韓人氣質
家富まねど日常鮮潔したる身振りの細君必ず心か 韓人の精神界に立入ること深きに從うて、予は其懶 サラミ氣質は如何に奇妙滅法界なる乎、韓人の情
團子形にして而して到る處路を塞ぐ、川は頗る雄
大なる者有り、稍大陸の氣象を徵す可しと雖も、
山川の配合に奇致なく、草木も亦、松、槐、柳の
類に限られ、山水の秀靈明媚と云ふ事絶えて睹る
可からざるが故に、韓地の旅行ほど曲のなき者は
あらじ、而して此無味單調は村落市街一樣に伴ふ
なり、卽ち十里行いても百里進むでも何時も赤味
噲と明太魚(
の人夫然たる人間に、馱馬のスレ違ひ兼ぬる而し
て河に橋梁なき一等道路、觸目渾べて嶄新の趣
なきこと日又日、酸辛艱苦の大半は此モノトニーに
在り、一本調子に在り、
會に抵らば少しは新奇の物に遇はむ、家屋も大な
るべし、商店の樣も亦賑はふならむと、开を樂み
に行き見れば、其都度失望の蓋を明けざる莫し、
蓋し朝鮮には只村落ある耳、市街在る莫し、商賣
と云ふ者店頭に物貨を騈ぶるは鏡、燐寸、金巾、
串柿、煙管の類一風呂敷に包み切る程の者に過ぎ
ず、大方は市日を定めて大道に商賣し、米も乾魚
もゴタゴタに排列する次第なり、而して家屋は他
の村落と同じく例の藁葺きの士
は全國に亘りて一箇も發見す可からず聞道らく藁
ぶきの平家以上、壯高の家宅を搆ふる者は官衙よ
り嚴譴を蒙ると(
や否やを知らずと雖ども、四百里中山の隅、川の
ほとり、ダニの這ふ如き灰白の豚小屋點點たる一
本調子に至ては閉口せざるを得ず、右の如き邑里
に住き右の如き生活を爲す韓人は卽ち千里一樣百
年同調、以て思想精神を刺衝すべき外界の圍繞物
は變化と稱すべき事絶無にして、身邊の趣味は土
型に箝めたるが如し、由來進步は活動に原き、活
動は異樣の要素相刺戟するに由り、而して定住の
狀態は退步の本たるものを、此木石乎たる現狀に
居るの韓人、曷ぞ進步を策せむ、安ぞ開化の端有
らむ、
吏の暴虐、外國の制壓等種種の大原因ある可く、
今日の現狀は畢竟其結果として見るを適當とすと
雖ども、結果は更に因緣を成せば則ち先づ現時の
狀態に依りて、韓人の進步開化は當分望無きを斷
定して、而して後、之が境遇を變ぜしむる手段を
講ずるを可とす、若し夫れ韓人の物質的狀態を硏
究することすら未た盡さゞる有りて、輕輕にサラミ
の面目を臆斷し、『ナニ維新當時の日本百姓も同じ
事さ、改革をやつてやれぬことはない』抔と一呑み
に勝手の尺度を擬しなば、遽藥却て人を殺さずん
ば。則ち木に竹を接ぐの徒勞に已まむ、韓人の面
目が人間として低度の極點に在る事を彌が上にも
腹に容れ、寧ろ獸に近き一種の者を扱ふ氣と爲り
て、手加減寸法を案ぜむは返す返すも必要なるべ
し、
ひがひ敷、服華ならねど態度の凜凜敷紳士多く材
有り、外相及び物質的面目の如何は以て精神智識
好尙の度を證明すべし、則ち韓人が禽獸に近き生
活の狀態は、以て彼等の智識精神が如何に下劣陋
猥なる乎を測るに足る、讀者は定めて前項說き去
る所に依りて、以下精神界に立入りての予が斷定
に首肯せられむ、
惰なるに驚き、呑氣なるに驚き、無恥なるに驚き
殘忍なるに驚き、狡獪にして猜疑深きに驚き、終
に彼等が普通人間の情、智、意以外に動く一種民た
るを發見し、斷定するに「氣の知れぬ人民、人間外
の人間」なる二語を以てしたり、
僞如何に料り難き乎、左の各節を玩味せは讀者の
思必ず半に過ぐるものあらむ、