10月31日
●サラミ (五)
天眼生
智覺神經明日に達せず
物見たきは俗人の常と云へ、世に韓人ほど氣樂
なる見物家はあらざるべし、日本人の過ぐる有る
や、韓人の之が四邊に群集する黑山の如く、相手
の甘まい顔を見れば、何の會釋もなく摺り寄り、
にんにくの惡臭を吐き掛けつ、他の袖に手を觸れ
て、よい衣裳であるの、一反幾貫文だらうのと語
り合ひ、果ては煙草を無心し、少者の頭を撫でる
抔散散に見物す、將た又少少畏▣らしい樣子の異
客を見れば最初は遠卷に卷いてノベーツト立たな
り物をも言はず、何時迄も凝視居る、ソーかと思
ふ內に、他の睨み聊弛るむと見れば追追問近に
侵入し、コソコソ評し合ふたる末、煙管を啣へて
地上に箕踞し、別段珍しいと云ふ顔付もなく、何
が面白いとも限らず、正午の頃より日の暮るゝ迄
も眺め居る、其ノン氣さ加減、腹の立つ程なり、
而して彌次馬の飛び出すことは亦一の名物にて日本
人が此見物のウルササに堪へざるより起つて驅逐
すれば、する程、三三五五何處の隅よりか寄せ來
る人數、雲霞の如く、內には炙附ける如き署さと
蠅と惡臭とに攻められ、外には件の人の山、實は
臭い塊りの黑山に風を塞がれ、殆んど悶絶もしか
ねぬ程に鬱陶しければ、今度は鐵拳を振り上げて
先登の彌次馬を懲すに、ソラ來たと云ふや否、ワ
ーツト立ちて四途路に奔逃し、此方は稍涼しくな
れりと喜ふに時を假さず、復た續續簇かり初める
樣トント大なる蠅なり、蟲强き日本人ならば、如
何に勘辨しても肝癪が起り、到底も君子風以て通
過し難きは朝鮮內地なり、
韓人は斯く集散共に蠅の如しと雖ども、單身旅行
の日本人と見れば、忽ち輕侮して嘲罵を加へ、彼
等の所謂矮奴を捉へて、いぢり廻はし散散なぐさ
み、果ては彌次馬連中總掛かりにて石又は棒切れ
以て叩き伏せ、ワーワー乎として怡び去ること屢な
り、尤もソレが日本刀を一本帶すると見れば中中
手出しせず、前に述る如き見物の仕方に止る、抑
人を殺せば己亦自國の官人に捕へられ、首を取ら
るゝ事は初より分明なるに、斯く虛に乘じて日本
人を攻め掛ける彼の心底如何と云ふに、强ち彼れ
が日本人を不俱戴天の仇と深くも思ひ定め、機を
見て輒ち起つと云ふ根底に由るに非ず、畢竟排日
の遺傳性か一分にして、例の彌次馬主義が九分な
りとす、其次第は、由來定想なく土性なきはサラ
ミの特色にして、好惡愛憎共に根も葉もなく、恩
仇兩ながら譯も理窟もなきに終る其工合、今泣い
た烏がチヨイト笑ふ稚兒の如く、枕以て叩き合ふ
下司の夫婦喧嘩に似たり、卽ち左せる原因無しに
噪ぎ、左せる道理無しに靜まり、緩急得失共に感
覺甚薄く、是れぞ七生忘れぬ恨なるべしと思はる
ゝをば一日經たぬ內に忘れ去り、如何に韓人迚斯
く迄信切にしてやる者をヨモヤ仇にはすまじと思
はるゝをば、時の調子で逆まに返報する抔、其た
わい無さ言語同斷にして、己れ今日行ふ殺人罪が
明日如何の結果を來すかの點迄は考へ及ばぬ程の
無感覺なれば、時の興で何の原因も無く日本人を
殺戮するにも至るなり、但し如何に蠢愚無感覺な
る彼等迚、現在目前、五分と經ぬ內に畏ろしき目
を見る場合に限りて、流石感覺すと見え、日本人
が刀を拔くと見れば、彼等一時に畏縮して逃け足
の素早きこと奇妙也、
去れば韓人の神經は明日に達せず、韓人の智覺は
觸目以內に在り、之に美食を供すれば、啖ふ內丈
けニヤオニヤオ言ひて尾を搖かし、恩を記する一場
限なること猫に異ならず、打たれりやキヤンキヤン叫
むで逃げ出し、忽ち復た伺ひよる其懲り性なき所
犬と擇ふ莫し、其蠢愚の狀は寄せ來る彌次馬の一
人を打投げた者の實驗する所なるべし、卽ち役人
共が聲を涸らして何程去矣去矣と嚴命しても制し
切れぬ例の大蠅(而も時折は日本人の命を奪ひか
ねぬ動物)コイツ面倒と一匹投げて見するが最後
前面サツト開いて分外に廣く、冠破れし一匹地上
に匍匐するや、遠く退ける衆多の大蠅之を見やり
てドツト笑ふ其聲白痴の笑ひ上戶に似たり、若し
日本人を仇視して機を待つ程の土性あらば、など
て同胞同類が現在敵に倒されるを見て、斯くも心
底面白そうに哄笑する筈やある可き、