11月10日
東學黨の眞相 (三)
天眼生
全州に於ける官軍 淸兵〓〓東徒
東徒が古阜を打立つて全州に至る間には報恩尙州
の同徒來り會する者多く、且つ例の彌次馬主義の
國風迚、脅從雷同の輩共に夥しく加はり、頓に勢
力を增して衆萬餘と聞えたり、此勢に辟易して骨
無しの全州監司は守を棄てゝ遁れ、留守の下役人
五六輩は門を開いて出で迎へたれば、東徒は例の
强訴狀を之に取次がしめ、京城の返答を此地に待
つと稱して、滯陣數日、部下を戒飭し隊伍を整理
し、傍ら近里の資産家より金穀物貨を徵收し、儼
然として雄を一時に鳴らせり、時恰も五月下旬に
在り、變報の京城に達するや、平常は橫着に際限
なき韓廷の者共、一旦驚き初めたら周章てるも際
限なく、急に洋式訓練の官兵を差遣して誅討せし
む、京城は重圍の中に在りてふ大大的虛報の號外
が都人の喫驚を我國に博せしも其頃にて、閔族が
心易からざるより淸兵の出征を請ひしも此時也、
官軍の全州に着きしは五月廿九日(と覺ゆ)にして
卽座に砲擊を初めたるが、東徒は奮戰力抗するも
元來持つ所は火繩筒に竹槍の武器に過ぎざれば、
正式の韓兵には敵すべくもあらず、射殺さるゝ者
五六百、一同玆に死地に陷りて妄信家の有する消
極的勇氣を皷舞し最後の奮鬪にも及ばんとする折
柄、國王殿下より急使有り東徒をば鎭撫せよ鏖殺
すなとの嚴命なりければ、官兵乃ち砲擊を止め、
ソレより勅使と東徒首領との間に數回の商議有り
東徒は飽迄も恭順の態を爲し、國王に背き奉る所
存は毛頭も不候、只我我下民の疾苦を上訴致す迄
の心底なり、願意御取次被下ば固より各各鄕貫に
歸休致すべしと誓ひ、勅使亦姑息彌縫に急なる中
央政府の旨を承けて、一時無事を取繕ひ太平を奏
上する爲めには、暴徒の懲罰其他の事を問ふに遑
あらず、願意は詮議の上善きに取計らひ得させむ
汝等の罪は宥免すべし、年貢も本年は免じやらむ
と實際は東徒の御機嫌を取りて一旦退陣せしめん
とし、卽ち相談は纏まれり、蓋し東徒は大砲の味
を身に實驗して初めて官兵の抗し易からざるを覺
りたれば、更に時機を待ち黨力を養ふの方便とし
て、丁度誂へ向きの諭旨を喜ひ、便ち政府と相引
の姿にて一段落を告けし者と見えたり、
東徒の全州を引上げしは六月八日に在り、卽ち官
兵到着以來十一日にして、隨分迅速なる交綏の纏
まり方なれば、牙山上陸の淸兵も折角の遠來大儀
千萬、御苦勞の甲斐なくして已みぬ、去れど流石
東洋流の國策に長する淸將の事迚、敢て手を束ね
て退かず、兵五百を公州に送りて隣近に威を觀め
し、且つ沿道各所に遠來の趣旨を揭示せり、揭示
の要は大淸國皇帝陛下爾屬邦衆庶が亂に困むを憫
み吾吾を派して救濟せしむ、ユメおろそかに心得
な、且つ大兵境に臨むと雖とも、軍紀嚴肅、諸諸
部下の需むる所必ず錢を紿すべし、敢て逃避する
有る莫れと云ふの意なり、文辭尊大優に愚なる韓
民を舐め去れり、加之聶、葉の二將は士官二十騎
を率いて躬ら全州に抵り、親しく亂後の邑民を慰
撫し、兵燹に罹れる邑民九百二戶に各戶銀二圓(二
圓と揭示し有りたれば多分弗にて與へしならむ)
を賑恤し、大國大人の德を貽して立ち去りたり、
予の全州に過ぎりし時は、江夏島より出張の官兵
猶四門を守り、嚴重に人の出入を誰何し、邑民離
散して未だ還らず、大砲に打貫かれたる城門の丸
痕は木猶白く、城外に在りし九百の民戶悉く燒か
れて土亦黑く、荒涼の狀轉た羈客の袖を沾ほさし
めたりき、
東徒の實勢
鷄林の事に關はる闇黑は今こそ日本人の眼底に破
られたれ、牙山役のツイ前迄は誰一人內地に蹈み
込むて實地の探究を遂ぐる者なく、東徒の消息を
も虛言商賣の朝鮮官吏が詐奏に基く京城の取沙汰
に一任したれば、全州退去後は東徒旣に消滅した
るが如く臆斷せる人も少からずと雖とも、實際は
東徒の鎭定されし事曾て無し、全州の敗軍は疑も
なく彼等の一頓挫なりしかども、开は只一時の頓
挫と云ふ迄にて、黨の實勢は依然として本據日に
堅く、首領全明叔は且く政府と和して便宜を計り
しものゝ、決して黨衆離散の末己れ逃竄する抔の
不首尾なる退き方を爲せしに非ず、正正堂堂黨衆
を將て歸休の途に上り、全羅道の重なる郡縣を橫
行し、各所の官廳に乘り込みて府司郡司牧司等の
行政を監察し、正なる者を揚け邪なる者を詰り、
吏房を使役して糧食を供せしめ、富者に命令して
錢穀を納めしめ、我旨に違ふ者あらば何時でも蹶
起して誅戮するぞとの威光を十分に觀めしたる上
ボツボツ黨員を鄕閭に歸休せしめ畢りて、古阜に
歸りしは七月下旬に迨べり、去れば彼等の行列は
一の軍隊的組織に成り、發足の際には先づ太皷を
擊ち朝鮮の軍樂を奏し、大將の前に順次整列して
點檢を受け、行けの號令掛かるや否や出發し、火
繩筒の步卒二百餘人を先鋒とし全初め爾餘の大將
株皆馬上悠然として中央に在り、鏽鎗竹槍の步卒
殿と爲り、老少及び武器持たぬ輩は終尾にゾロゾ
ロ附き從ふ、彼等の陣營は卽ち官廳を以て之に充
て、時に里民の訴を聽き笞刑を行ひ、又東徒の名
を冒して財貨を私奪する者、不義の(不義ならず
共?)財を藏匿して彼等の徵收に應ぜざる者等を
捕拿し、拷問の末ドシドシ銃殺を行ひ、殆んど賞
罰の全權を左右して敢て怪しとせず、公然一地方
に割據する主權者の觀有り、然り而して官吏は何
故之を傍觀する乎と云ふに、根が中央政府すら默
許の姿なれば郡縣の小吏共固より手の附け樣なく
先つ腫物に觸る如く、畏い神に近く如く、早く立
退いて貰うてホツト一息つき、己れが官廳に備付
の鐵砲をば彼等に斷はり無しに奪はれ乍ら、知ら
ぬ顔して人にも告げず、全州に出張せる鎭撫使金
鶴鎭すら、僅僅十數里以內に彼等の橫行斯くの如
きを目擊し乍ら、己れ自ら進むで詰責諭解するの
氣力なく、曉諭の文を勅諭に添えて屬僚に持ち步
行かせ、件の屬僚は故らに東徒の立去つた跡跡と
追掛け廻はり、東徒は今朝出發せしとな、开は遺
憾なり、就ては當縣に於ける彼等の擧動を序故に
調べ來るべし抔云うて又緩緩滯留し、時を料て復
た先に進み、其處にも亦同じ樣に、先刻旣に立去
りしが开は甚た殘念抔口上の白を切る次第にして
是が卽ち無政府同樣の朝鮮普通の狀態とは云へ、
以て東徒跋扈の眞狀を識るに足る也、