11月14日
東學黨の眞相 (五)
天眼生
東徒と大院君
東徒が叛旗を全羅の一隅に飜へすに當て、其信仰
する大院君と豫め氣脈を通ぜしや否やは疑問に屬
す、然れども全明叔の人物の度より推せば
彼れ必ずしも大院君を待つて初めて起る者に非ざ
ること明か也、只彼れ智略に富み、東徒の意氣亦限
らるゝ所有り、乃ち且く大院君てふ木像を衆の眼
前に立たしめ、以て己が操縱の便を成すに似たり
牙山の役畢りて後十數日(八月十一日の頃?)彼れ
は使者を京城に遣はし謁を大院君に請ひ言はしめ
て曰く、臣は東學人、全明叔部下の一奴也、今敢
て嫌疑の軀を以て遠く殿下に趨りて而して請ふ所
以の者は他なし、師全明叔曩に民生の疾苦を睹て
情迫り感切に自ら禁ずる能はず、遂に闕下に伏し
て愬ふる所有らむと欲し、挺身閭を辭して王都に
赴く、諸諸平素從遊する者以て默視す可からずと
爲し、卽ち胥いて之に尾し、其行を護る、而して
衆情激昂間間不逞の擧有り焉、全蓋し萬死に當す
矣、比日野人側かに聞くに朝廷の上果然釐革の事
有り、奸邪悉く退き、國太公殿下出てゝ萬機を攝
せらると、全乃ち且つ感怡し且つ恐悚し、以爲ら
く匹夫聖代の恩に孤きて妄に法度の外に逸す、斧
鉞固より其所なり、坐して折獄の勞を煩はさむよ
りは進むて殛刑を竢つに若かずと、卽ち單身親に
辭して將に罪を闕下に請はむとす、臣等傍に在り
百方慰解して纔に止む、蓋し全が咎固より族死を
免れずと雖とも、然れども更に全の衆に莅む所を
見るに、方今全に歸服して而して死處を同じうせ
むと欲する者百千に限らず、一旦若し常規に拘し
て之を殛する如き有らば、臣等竊に恐る本來無知
の是輩誤て怨を朝廷に歸し、激越乃ち復た淸明の
治を攪す有らむを、是れ臣等が敢て全を諫め、飜
へつて殿下の明に訴ふる所以なり、伏して願はく
ば殿下寬仁、全の孤忠を憫み必す法を正ふし匪を
懲らさむと欲せば、請ふ臣を斬つて以て天下に徇
へ、以て全が罪を贖ひ衆を撫するを得せしめよと
大院君因て狀を韓廷に宣べ、全が罪を宥怨するに
決し、來り請ふ者を慰め還せしとぞ、是れ予が當
時要路に出入せる某氏より聞く所なり、詭變の問
屋なる韓人の事迚、斯かる狂言は全が本心より出
るか、但し全が大院君と諜じ合し、人言を塞く豫
防線として演ぜしものか、其邊迄は測り得ざれ共
兎に角全が日淸開戰の後間もなく、右の(或は右
に類似の)キツ掛ケに由りて大院君を干せしは事
實と信ぜらるゝ也、而して右の事實有りしと稱せ
らるゝ時と相前後して、東徒醴泉に會し、爾來陸
續諸隅に蜂起するを見る、則ち識者が東徒の近狀
を目して淨海入道の口吻を藉り、事必ず源あらむ
と謂ふ者豈偶然ならむや、
斥日運動の原由
事大の二字性を成したる韓人間に在ては、苟も平
地に波瀾を起さむと欲する者が、日淸の不和に際
して日本排斥を名として衆を集むるの策に出ること
固より怪しとせず、去れば全明叔は全州を退いて
傍近の郡縣有司を糺彈し廻はるの時、夙に心に決
する所有り、曰く朝廷荐りに寬容慰撫を務む、吾
等今直進せむには啻に力足らざるのみならず、亦
良民の感情を害し天下の厭嫌を來すの恐有り、再
擧の名、若かず斥日の二字を以てするにはと、彼
れは實に其心腹を某士に打明けたり、當時彼が股
肱二三を除いては彼れの眞意を聽く者なく、只管
酷熱の時を避けて初秋早早(特に舊七月一日祖師
出現の妄信にからまれ)再擧を謀る事と、今回は
大國の怒に觸れざる事とを知りしのみ、是れ純粹
東徒卽ち內治革新を急とする彼が直參仲間の實狀
なりき、斯かる處に彼等は大院君の意を迎へて己
れが贖罪の地を成し、以て運動の自由を策するの
必要あり、韓廷亦擧つて日軍の敗績を豫想し、天
兵一たび平壤より下らば倭人必ず顔色無からむと
信するを以て、或部分の者は陽に改革の議に同し
て陰に淸兵に內應するの傾向ありし時なれば、左
なきだに斥日の名に依て復旆を期する東徒(頑固
分子は勿論、純粹東徒も)何ぞ此好機を失せむや
彼れ蓋し以爲らく朝廷今勢蹙まりて倭人の制肘を
受くと雖とも、大國に背くは其本志に非ず、予輩
今奮ひ起つ、成らば則ち京城に赴いて素志を貫く
可し、敗るゝも亦朝廷の譴に觸るゝこと大ならずと
乃ち煽動挑發各地を鬧がすに、京城にも密密同志
を繰り込ますに至れり、加之成歡に敗衄せる淸兵
は何故にや武器を持しつゝ裕かに逃げ果ほせ得た
るより、淸將の智なる疾くに東徒利用の策を搆え
遁逃の際數十人の心きゝたる者を留め、韓裝して
忠淸道の各要地に潛ましめ、授くるに相當の軍資
を以てし、其をして討倭の檄を草し擧兵の機を啓
かしめたる形迹、疑ふ可からざる者あり、彼此の
事情斯くの如くなれば則ち折角日本が義軍沙汰以
て苦勞する傍ら、途方途轍もなき斥日運動の怪事
を生じ、東徒亂暴の飛電日に邦人の耳目を驚かす
に至るも、亦是非なき次第とこそ知らるれ、事の
行掛かり情の搦み合を究めずして、一槪に東徒の
亂暴をのみ憤りなせぞ、韓人の愚は我の手を下
さぬ前より知れ切つたる事なり、能く彼を審して
其の急所を捉へ、以て我乘る馬車の馬とも做す程
の才覺なくては、堂堂日本人も無調法至極ならず
や、