11月20日
●朝鮮の一活火
(東學黨の實體觀察)
在韓 紫陽生 東洲生 稿
日淸の談判破裂は朝鮮を起因とし朝鮮問題は東學
黨の擾亂其大部分を占めたり今や大部分なる東學
黨問題は日淸問題の爲めに驅り去られて世人の耳
目は旣に之を放過したり然れ共彼が十餘萬の無形
の團體は隱然として朝鮮國に一種の堅固なる勢力
を有すれば其一擧一動の大に注目せざる可らざる
は固より論を俟たず苟も志を朝鮮に抱くものは彼
か性質狀勢及運動の方向等を考察し今日に於て豫
め之に對するの方案を講ぜざる可らず
余等は日淸談判將に起らむとし東學黨の黨勢方に
熾なるの時に當り親しく東學人を訪ひて意見を叩
き目的を問ひ又黨中一二の人物に親交して聊か東
學黨の事情を探れり故を以て東學黨に關し參考の
材料となるべきものは往復の書簡に至るまで皆之
を保存せり然るに未だ蒐錄して人に示すに及ばず
して牙山の戰となり敗卒前路に塞りて屢屢身を旗
影劍聲の間に飜し該材料は苦雨酸風に散逸して
寸翰片墨をも留めず是を以て今唯腦裏に遺れる當
時觀察の一斑のみを記して聊か世人の覽に供す讀
者若し此れに依りて彼が性質狀勢運動等の一斑を
知り以て彼に對する方案に取るあらは余等が幾旬
の苦旅に材料を失ひたる恨も亦以て購ふことを得
べきのみ
東學の起因及び其性質
余等が觀察する所を以てすれば東學は一種の宗敎
にして其起因も一朝一夕の故に非す余等は黨中に
有名なる全明叔に就て其談話を聽きたるに
彼が談話の要領に依れば東學の名の始めて朝鮮に
現出したるは旣に遠く五十年內外の前にありて其
開祖は全羅道雲峰の山中に苦鍊して始めて東學の
說を唱へ今を距る三十年前再び雲峰に入りて入滅
したり而るに其學の傳受の正系に崔時享たる者あ
り今尙ほ現存して大接主と仰がる全明叔等は各二
千三千の信徒なる學人を率ゐて之に屬し八道を合
して十餘萬の信徒ありと云ふ此れ皆二世五十年內
外に繁殖したるものにして旣に信徒となれば一に
大接主及び各接主の言を確守し水火に入り白刃を
▣むも唯命のまゝなり故に一旦干戈を動かすに至
りても信仰の力は能く通常兵卒に勝つこと彼の如
くなりしなり(崔時享は慶尙道尙州の人にして尙
州城を距る二里許全羅に通ずる小道の傍なる山
村に住せり全明叔は全羅道靈岩里の人なり然るに
▣の耳目を憚りて常に金奉均と僞稱せり)
抑東學とは東方の學といふ義にして東方とは朝鮮
の稱なり卽ち東國なる朝鮮固有の學儒佛及び仙の
三道を打成して一片の新學を組織したるなり(朝
鮮には宗敎の熟字なし敎或は學と稱す)人或は疑
はむ朝鮮は儒を國敎とし尤も守舊の國たり何故に
新宗敎の著しき勢力を有すること此の如きに至
れるかと朝鮮を知らざる人は必其解に苦しまむ故
に余等は起因の起因を明にし讀者をして其性質を
知るに一層瞭然たらしめむと欲す
東學の起因を知らむと欲せば先づ朝鮮固有の宗敎
に就て其情勢を知らざる可らず固有の宗敎は儒佛
のみ仙は道士なく寺觀なく隨て儀式なければ仙道
ありと云べからず抑儒は國敎なれば外觀上の儀式
は最も嚴重にして冠婚葬祭其繁文縟禮を極め孔孟
を尊奉すること恰も本邦佛敎信者の彌陀如來に於
けるが如し然れ共其尊奉は一種の習慣として唯尊
奉すべきものと信ずるのみにして之を尊奉する所
以を知るもの甚だ鮮し故に禮儀も習慣となりて之
を守るのみなれば虛飾虛禮實は告朔の餼羊よりも
劣れり蓋し人心腐敗の極に達したれは何ぞ沐猴の
冠を問はむや佛は四民の下に列せられ人類に齒せ
られず故に高麗の佛敎も今は磐石に壓せられたる
草の發芽の期を知らざるが如し外觀實に憐むべし
唯僧の祈禱の一事を修めて僅かに人間に交通する
あり然れ共其祈禱は金胎の密壇に非すして佛家の
禁たる符呪の術のみ而して儒も亦二十四龍七十二
穴等の陰陽占相の術は其固有の物の如くし其書を
大傳と稱して無上の珍寶に比するに至る是を以て
之を觀れは儒佛の本道は外觀を存するのみにして
裏面は全く仙道と化性せり又巫覡なるものありて
盛んに下等人の間に行はれ鬼神を祈り邪福を求む
是を以て巫覡は下等人の心性を惑亂し仙術は儒佛
に纏ひ其何物たるを顯はさすして陰に上中等人の
心性を蠱惑す怪力亂神を好むは亞細亞大陸人の
特性なるが如しと雖も宗敎の壞頹此に至りて亦太
甚しと言ふべき也
然れば東學の開祖は或は其人の癖性なるにもせ▣
稍稍投機者流の人ならむ故に世道人心の趣向する
所を察して其嗜好に投し遂に公然仙道を唱へ又物
議を憚りて儒佛を混じ外觀と裏面と相背馳せるを
都合好く統合して名は儒佛に假り實は仙式を組織
し以て都合好く一切の人を籠絡したるなり故に部
下には僧あり兩班あり常漢ありて皆一和合相と稱
す若し夫れ朝鮮人の神怪に於けること鐵の磁石に
於けるが如き傾向あるに乘ずるに非ずんば安ぞ能
く五十年內外を出でずして十餘萬の信徒を作り其
勞益益熾にして遏むること能はざるに至らむや
全明叔は余等に書き與ふるに入道の儀式念誦の法
等を以てせり今其書を失ひたれ共余等が記臆する
所は入道式は佛家の得度式に儒禮を交へたるか如
きものなりし卽ち三歸戒に代ゆるに仙呪を以てす
而して燒香拜跪合掌の禮は儒佛を折衷せり念誦は
陣中と雖ども每朝必す嚴恪に之を行ふ式は佛前に
於けるに似たれ共鐘鼓なくして念珠を用ゆ而して
念誦は重に入道の時授かる所の文を以てす
侍上帝造化定永世不忘萬事知
此等の仙呪は旣に世人の汎知する所となりたり蓋
し玉樞經の呪文等を本據として此曖昧語を作りた
るものならん然れ共全明叔は色を正しくして云ふ
此呪文を唱ふれば無量の妙力ありと
余等は五千言の外は仙籍を見るを好ます故に或は
妙味あるやは知らされ共余等は自ら斷す仙道は邪
術にして世道人心に害ありと然れ共彼等が之を執
ることの固き實に始めより信して疑ふことを知ら
ざるものゝ如し而して儒の仁義の敎佛の不殺の戒
も亦た固く執りて之を護奉するの篤きこと猶ほ仙
呪に於けるが如し故に全明叔が兵談には屢屢不殺
の語を挾み部下も謹敕にして自ら脩飭し一般韓人
の禽獸の如くなるに似す又溫順にして接主の命を
欽奉するの狀は實に身を失ふも命令を全うせんと
するの風ありて邪術の徒とは見へざるなり(未完)