11月25日
●せめては草 (一)
天眼生
『不得已錄』及び『戰陣雜話』の二題以て二六の白
を塡めむと期せし所の者。今此に一括して讀者
に見ゆ。蓋し是れせめては朝鮮旅行のしるしに
もと書き綴るの外他意なし。則ち敍事に一定の
順序又は主眼の歸着なく。正に不規則なる經歷
感慨、見聞の合切囊たり。世人若し中を檢して
事陳りたるに拘はらず、意偶偶新なる者有りと
謂はば。筆者は應に遙かに分外の稱贊を謝しつ
ゝ、幸に自ら寥寥の孤懷を慰す可きなり。
同志ならで誰かは知らむ不知火の
こころつくしの同志か心を
是れ九州の一友が予に贈る所、まことに自ら宿昔
の志を討ぬるに、必ずしも一片皎然以て凡色に尙
ふる者無しとせざれども、飜へつて事の上に發す
る者を檢し來れば、我乍ら氣の毒なり、成したる
迹絶えて空し、今に及むで何をか講釋するの面目
やあるべき乍去聞けば多情なる世上の君子は纔か
に書藉又は新聞紙上の知己たるに緣りて、予が成
行を氣遣はれ自宅又は二六社に消息を問ひ吳れ給
ふ者幾十百家とぞ、予や終に徒に默して已む可か
らざる也、且夫れ朝鮮は不健康不自由の總べてを
專有する無類の下國にして、平時に在てすら少し
く高尙なる人間は敢て內地に入らず、居留地をス
ラスラ廻はり、以て視察を遂げたりと稱し極樂の
日本に立歸るを常とするに、是れは誰に賴まれも
せず、東徒出沒し淸兵壘を搆ふる危地亂邦に跳り
込み、百度以上の熱天を冒して汗血を一本の刀の
柄に拭ふこと、大抵の物數寄にて爲し得る業にあら
ず、則ち予は入韓の志敢て徒爾ならざるを明言す
るに憚らざる可し、
抑敵國外患なければ邦必ず亡ふ、亡ぶとは必す
しも土地殺がれ主權奪はるゝを待つて初めて謂ふ
にあらず、國際の形象常に危けに目に立たねは、
國氣はおのづと弛みて宛ながら湯上りの人氣の如
く、一時パツト華やぎて沈實の業に遠ざかり、我
も人も知らず識らず太平樂の云爲に日を暮らし、
政論偶偶激する有りとも槪ね時の興に乘じて雷同
するに止まり、硬議時に熱する有りとも亦場の調
子に由りて見て吳れを務むるに過ぎず、國策も經
綸も只流行の話柄として流行し、どこ迄行つても
眞正國家の大維新は望み難かるべし、是れ國家は
外相飽まで無事にして、實は精神的に亡ひつつ有
る者たり、斯かる際の療治は煙硝の臭い以て洗滌
するに越したる妙法なし、外戰なる哉外戰なる哉
勝つも大覺の本、敗るゝも大覺の基、國家の神經
を激衝して俄然眼醒めの活動に投じ去るは外戰の
力に歸す、故に凡そ分捕、略地、武勳の赫赫等俗
人の看て以て壯と爲し、客氣の徒の呼むで以て快
と爲す所の者は末のみ、國勢維新國氣振策の上に
戰爭の已む可からざる所以を識り、之を識つて而
して信ずること切に、信じて而して如何なる手段を
用ひても之を斷せざる可からずと謂ふは是れ國家
の本經に合する所以なれば、則ち日淸交涉の當初
身武夫の列に居らず、心客氣を拂ふの士にして、
開戰の機を促すの術に苦慮せるもの何ぞ一二に止
まらむ、後輩拙生の如きも亦文事を分とするの軀
を以て、唯此一義の爲めに任を先憂の士に同うせ
んと決心せる一人なり、飛んて韓に入る、只此一
信念の禁する能はさりしに由る今や天意人心の合
する所、積勢の防く能はざる所、忽にして戰は開
かれたり、卽ち對外の氣勢潮の如く張り、革新の
氣運順風の如く迫り、東海の孤帆只富强の岸に向
ふて駛るを見る、固より本願旣に遂了して快哉を
絶叫するの外他辭なしと雖とも、然れども一たひ
戰端未開の當時、懸念切切、若しや日淸兩兵睨み
合ひの末、相引きとなりもせば如何す可き、嗚呼
此千載一遇の好機を虛うせば日本もダメ也東洋も
ダメ也、廟議は如何聖斷は如何、以む莫くんば牙
山行軍……軍人中果して其の人有る歟……と右を
案じ左を思ひ、兎もせばや角もせばやと眦を決
し腸を絞り、只管開戰の二字を思ひ詰めて到底
安坐し得ざりし有樣に想ひ至れば、餘りと云へば
衝突は無造作に發しぬ、餘りと云へば局面は急變
しぬ、我乍ら只茫然、世事の變幻に驚くの外なく
張り詰めし氣弓の弛むともなしに矢番ふ的を探る
べくもあらず、
蓋し當時の形勢、密雲雨ふらず天空徒に暗憺たる
の槪ありき、卽ち積勢の趨く處、極めて細微なる
機會と雖とも、一發之れが先を啓く者さへあらば
必ず轉轉移衝、更に大なる機會を惹起して眞成風
雲の亂動を致す可きは何人も認めし所なり、而し
て所謂極微の小機を劈開するの道、必すしも俊傑
の士の力を要すとせず、只一群の男兒(正當の解
釋に適する)が挺進して自ら任する所有れば輒ち
足りし也、則ち若し赴韓の後、案外にも迅速に政
府の力に依りて埒の明くことあらざりせば、予が信
念と希望とは、予を驅て是等男兒の尾に從はしめ
たるやも測る可からず、去れど端なくも戰端は開
かれたり、後輩復た何等の差出をか須ひむ、予は
實に一廉の功を立つるの機に及ばざりし一種の恨
悔に伴うて、終に政府の政略と逆行せざるを得た
る一種の僥倖を獲たり、果てねば知れぬ水の流れ
に比しけむ人の身の上、今ぞ切に思ひ當らる運命
の奇、死なう迚死し得るものならず、生きやう迚
活き得る者ならず、鷄肋に似たる此軀も芥の坪に
捨てられて、再び聖代の餘露に霑ふの日亦期し難
しとせず、多情なる人人よ請ふ爲めに懷を安んせ
よ、予は何事も爲さず、又何事も爲しつゝ在らず
但だ數月の辛苦に頗る內廢を加へたるが故に專心
靜養、神明の呵護を祈るのみなりと雖とも、平素
自ら病魔驅逐の手段に熟し、且つ義士の助を得て
無聊の中稍稍樂意有り、天道果して人を殺さずん
は、予は必す應に再ひ世に出てゝ一片未了の心を
了するの日有り得べしと信する也、 (未完)