11月27日
●せめては草 (二)
天眼生
溫津の彌勒佛
朝鮮に入つて邦人の驚くは城門の大なり、京城南 堂堂たる公文
朝鮮は役人の威張る國故、役人が人民に莅むには
大門は寫眞にも見給はむ故別に說かず、次に大な
るは全州の城門なり中中玄武門抔の及ぶ所にあら
ず、此外にも樓門は各所禿けたる乍ら巍巍たり、
斯かる壯大の門內に住む人間は例のサラミ也、其
狀恰も槻の箱に蛆の這ふにも似たり、之に就け
ても李朝の始祖に精力を絞られ、其儘人民の萎縮
し了りたるを知るべし、去れど舊時の盛を追懷せ
しむる最大の遺物は唯一つ殘りて溫津に在り、溫
津は忠淸道新橋洞を距る一里許りにして京城本街
道より橫に入る、彼所に大なる彌勤
五丈餘の石佛にして、つぎ合せたるは兩袖の所の
み、傍に一庵有り二三比丘之を守る、佛の由緖書
は頗る大業なる者にして要を摘めば今を距る二千
年前、高麗の朝に、國王佛に歸依し吏民に命して
造らしむ、工を起してより三十八年にして成る、
龍蛇の役に李如松軍敗れて退くに際し、本佛現化
して老翁と爲り、江の淺瀨を誨え無事なるを得せ
しむ云云、佛の額上に觀世音菩薩を立たしむ、菩
薩は高さ四尺もあらむ、純金の製と稱せらる、同
行の一人は諦視多時にして斷斷乎として云へり、
觀音の體は保証せざれど頭部は正しく金也、晩照
に反射して煌煌する工合、金ならでは斯く雨に曝
され果てゝ此光彩を保たじと、他の一人は云へり
金ならば朝鮮の盜賊役人が今日まで殘して置くも
のかと、去れど此異論は種種の論據に因りて衆口
に打消され、硏究は戰時的軍用の點に移り奇談百
出せしが、結局、イカにも古代には三十八年も掛
かりつらむと思はるゝ此佛、今毁すにも矢張り年
數を要すべしとの點に歸着したりき、开は兎に角
に地震少なき國柄とは云へ、此雄大なる大石像今
日まて儼然として分釐ゆがまぬは建設の非常に念
入りたるを證す可し、而して佛像も經卷も古代の
もの殆んと皆無と爲りて、高麗盛大の俤を留む
るは獨り此石佛なり、朝鮮と云ふ國はヨクモヨクモ
退步を極めたるものかな、
嘸や儀式張らむと思ひの外、權力の割には手輕千
萬なり、卽ち府使が人民を捕拿し來るには、某姓
の某漢を捕拿了來の數語を鼠判切の樣なるへ一寸
書き付け、大印をベツタリ押し吏房に交付す、吏
房は右の書き付を持つ外に何の身用心もなく、邑
に就いて目指す漢を捉へ、之を後ろ手に廻し引立
て來る、人民は元より役人には協わぬと觀念し居
る故、手もなく從ひ行く、巡査が帶劍ほどの威シ
も改めては必要なき也、ソコデ首カセをはめられ
又は臀を笞たれてヒイヒイ泣く、笞つ時には廳中
の下役人ゾロリと二行に廣庭に立ち、上役は椽側
に坐して訊問しつゝ、笞たしむ、一笞あてる每に
下役人共は聲を齊くして▣ヱローと細長く、一種の
叫を爲す、儀式は其邊に止まれり、萬事此類にて
役所に森嚴莊重の態なく、人民は亦畵地爲圖亦不
欲入と云ふ程の感覺もなく、或は樓門の上に晝寐
するもあり、訟斷の場を立見するも有り、其邊は
トント自由國なり、是れ地方普通の狀況にして、
蓋し一般の貧陋と人民の無神經との結果なるべし
最もをかしきは役所より役所に送る廻章の傳達方
なり、頗る重要の事件を述る公文にても役人が特
に出張して他の役所に屆ける抔のことなく、書付を
小さき竹に割り挾み、小使に持たせて邑から邑と
傳遞せしむ、中には乞食の子然たる鼻垂しの小供
に持ち行かするもあり、而してソノ使は道草を喰
ふこと馬の如く、他人が其れを示せと云へば唯唯諾
諾、大道で擴げて平氣なり、偶ま否む者あれども
卷煙草の一本も鼻の藥とせば何時までも見物さす
べし、予等初めて全州監督より忠州監營へ送る公
文を檢せしに、开は淸將が罹災民戶に賑恤せる事
と、金玉均のサラシ物の中股の邊とやら腐爛した
る故、脚ばかり近日送付す可しとの事を竝せ報ぜ
るなりき、げにも彼等は公文を斯く無造作に扱ふ
丈其れ丈、人命をも無造作に奪るなるべしと驚歎
の外なかりき、但し此國郵便の設け無ければ中央
政府より地方政廳に達する勅令、官令も、亦大槪右
の傳授にて濟さるゝにて、中央政府のは大奉書の
卷紙に大字以て書き、其をくるくる捲き、風呂敷
にも包まで持ち行かする也、