12月25日
●變服間諜日記 (五)
安達如囚
九月九日 朝來より磁石を敎導として山谷を跋
涉す午前十時頃始て大路を山腹より認む、サラミ
に栗里場の道程を問ふ、曰く半里と、卽ち栗里に
入る、昨日淸間諜の追躡に逢ひ携帶せる糒及び韓
錢を遺失したるを以て昨夜來一粒の食を爲さず、
大に困憊を增す、幸なる哉遂安府の司令は我軍糧
徵發として此に在り、則ち就いて漂母の餐を受く
暫らく休足して疲勞を醫する折しも、遂安方向よ
り來れるサラミは吾大陣、列を正うして當方に進
軍し來るを報ず、予は此一言に疲勞をも打忘れ見
聞を報告せんが爲め退却す、二里許にして淸水大
尉の中隊は淺田中尉を前衛として行進し來るに逢
へり、筒井軍曹も亦前衛中に在り、別後安否を序
する恰も久闊の知友に會ふが如し、余は逐一報告
を爲し了つて、此日冷井洞に露營す、
九月十日 余は敎導として淺田中尉の前衛と共
に無事三登に入る、淸水大尉就いて入る、則ち宿
舍に着いて、明日進來る可き吾が朔寧支隊の爲め
架橋の材料を蒐集せん事を議す、玆に附記す可き
は三登の縣監は敵に通じ居る事實の甚だ明白なる
事なり、淺田中尉は之を捕獲して敵情を訊問す可
きの議を呈出せしも、中隊長は老練の議を持して
若し縣監を縛せば邑民動搖し軍糧等の徵發に鮮か
らざる影響を及ぼす可し、暫らく知らざる爲して
先つ吾用を爲さしめ而して後之を縛するも亦遲き
に非ずと、則ち議玆に一決し、縣監を招ぎて徵發
を命ず、縣監吾が命ずる所一も應せず、曰く、此
地淸兵の掠奪に逢うて、公等が欲するところの者
盡く空しと、淸水大尉は然らば先づ架橋の材料を
蒐集せよといふ、縣監曰く之無しと、淸水大尉曰
く、公の言常に無の一字を以て常に吾要求を辭す
るは甚だ其意を得ず、兵は機を貴ぶ、公若し再び
無といはゝ、則ち官衙の門扉等を破壞し之を以て
橋梁と爲す可し奈何、縣監辭窮し唯諾し此夜を以
て必ず蒐集す可きを以てす、就いて船隻を徵集す
可きを命す、縣監又曰く無と、予は一昨日變服斥
候として此地に入れり、彼之を知らざる也、予は
當時徒涉場を發見せんが爲めに江畔數里を上下し
て渡舟四隻を發見し居れり、彼又之を知らざる也
嗚呼何たる愚ぞ、予は則ち江の上下流に四隻の渡
舟ありしは如何にせしと云ふ、予の此質問は深く
彼の心を刺せり、彼は戰栗して顔蒼ざむるまで驚
怖せり、彼は予か如何にして之を知れるやを訝る
如き聲音して、申譯らしくも予は此地の縣監とし
て官衙に安座するがゆゑに之を知らずと、顧みて
其侍人に問ふ、侍人も亦予の此一言に驚怖を懷き
たる一人なり、我軍隊に如何なる自在力ある乎を
疑訝するの一人なり、是に於てか縣監の禪語めき
たる無字關は予の鑰に因つて侍人の口より開かれ
たり、曰く在り然れども平壤の淸兵は堅く日人に
渡す可からざるを命じ、且つ若し渡さば斬首すべ
しとの命あり、曩者此故を以て無と答へしのみと
余は則ち直に徵集すべき人夫を派遣す可く命せり
彼唯諾す、縣監は斯くて官衙に歸れり、余は此夜
の勤務を終へしを以て寢に就く、
九月十一日 午前二時淸水大尉は自ら起つて哨
兵線を巡回す、四時余を呼んで官衙に走り徵發物
蒐集せしや否やを質さしむ、余は命を領して直に
衙門に入る、門內蕭然として正廳の邊りに見ゆる
一穗の燈火影ほの闇く更に人の氣息なけれは、い
とゞ物の寥さを添えぬ余は心に怪みながら土足に
て縣監の燕室の扉を排き、と見れば落花狼籍、燭
臺倒ふれ火爐覆る、衣櫃は中空、食器書冊の類は
處嫌はず亂散れり、嗟乎彼は何地へか奔竄せり、
余が幾度が呼ぶ「ヨボー」
より反響を送るのみ、扨は下人共まて逃れ走りた
る也、余は馳歸りて淸水大尉に事の由を告げぬ、
大尉はシテやられたり、然れども急ぎ探窮しなば
拿捕する難からずと、七人の兵士を予と同行せし
めて之を追はしむ、町端の民家に昨夜見知りたる
官員の片割、寐耄眼して彷徨し居たるを見付けし
かば、之を捕へなば縣監の逃路を知ることもあら
んと思ひしかば、先つ之を高手小手に縛めたり、
就いて縣監の所在を問へば初め知らずと曰ふ、サ
レド何となく怪しければ刀を脫し嚇するが如くに
して訊問するに成川指して行けりといふ、則ち此
者を敎導として疾行同方面に進む、三里許、僅に
手がゝりを得たれども其去れる遠きを以て追はず
三登に歸れば吾が枝隊は盡く河を渡りて邑內に舍
營せり、予は直に第二十一聯隊第二大隊本部を訪
ひ、爾來の報告を爲す、此日、立見少將は予を召し
て懇切なる挨拶ありたり、是より前柴田朔寧支隊
長は大島旅團に歸り、立見少將來つて支隊長とな
れる也、自由新聞記者、今西恒太郞及ひ日日の黑
田甲子郞兩氏に逢ふ、爾來の久闊を序す、此日三
登宿、