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1차 사료

사람이 하늘이 되고 하늘이 사람이 되는 살맛나는 세상
二六新報 이륙신보
  • 기사명
    明治27年 12月 27日 變服間諜日記 (七)
  • 이미지
    prd_0130_226 ~ prd_0130_228 (226 ~ 228쪽) 이미지
  • 날짜
    음력 1894년 12월 01일
일러두기

12月27日
●變服間諜日記 (七)
安達如囚

吾が兵は未た淸兵の玆に來れるを知らず、淸兵は
江畔の堤防下に四五百人許の步兵を潛ましめ、餘
れる步兵四五百は其後に扣えたり、而して百許の
騎兵は江岸に前進して全身を顯はし、二隊に分れ
て五十許つゝ左右に整列したり、此時早く彼時遲
し、對岸の吾兵より一發の彈は放たれたり、續い
て打出す銃の煙は對岸の丘に滿ちたり、此時まて
未た一發の應射なかりし敵の騎兵は其背より銃を
取りて連射の應戰は始まれり、稍稍戰鬪を交えし
が、敵の騎兵の一人は馬上より射落されたり、斯
くて三十分許も戰しが、敵は隊伍を纏め退步を
始めたり、余等は始め彼等の進行を目睹したる時
彼等は此江を以て吾支隊に對する防拒線と爲すの
目的なるべきを想像せり、然るに彼は何の爲す事
もなく少許の戰鬪を試みたるまゝ、隊伍を引き退
けり、其目的果して何たるを知る能はざりし、此
日敵數步騎合せて千二三百人、糧食の縱列等の附
屬せさりしを以て見れは、元來滯陣の目的無く寧
ろ偵察の大斥候とも稱すべきものなりしならん、
余等は直に報知の爲め河岸に馳せ行きて渡舟を求
めたり、時に吾兵の斥候舟を艤して此方に漕ぎ來
る折なりしかは、予等は直に敵の退陣せしを告げ
漸次隊伍は此岸に渡れり、予等は直に再び平壤に
向つて發足、到る處の村落は淸兵の狼藉に逢ひ、
其慘狀見るに忍ひず、此日大地境店に到る、此地
平壤を距る二里、然して直行は一里に過きず、路
側の小丘に潛んて敵の斥候に注意す、

九月十四日 朝陽山を辭し四顧淸朗、牡丹臺の
砲臺は紅旗を翻へして江崖に聳立し、堡壘は堅く
平壤の城郭に接して建つ、天然の金湯に加ふるに
此守備を以てす、一見予等をして喫驚の外なから
しめたり、予等は路を稻田粟畑の間に採りて進む 城に近づき城に入込むを期す、頭を擡ぐれば平原
數里四方を展望す可し、平壤城脚を來往するの
淸兵は歷歷掌を指して數ふ可し、而して時に大道
に出づれば、騎兵伍を連ねて來り過ぐるに逢ふ、
其肝を冷せしこと幾回なるを知らず、予等は辛うじ
て、敵壘を距る半里許の小河を渡りて、一の小山
に攀づ、山上に葦蓆抔を敷き、傍に竈抔を築き居
たるを見れば、敵は此小山に前哨を出し居りたる
事もある也、余等は始めて此近傍の村民を尋ね出
して城內の樣子を尋ねんと思しも合戰の旦夕に迫
りたるを知り、盡く家を提げて去り一人もあらざ
りしが、今始めて此山に於て一人を發見せり、余
は甘言以て敵の消息を問ふ、彼は曰ふ、十三日の
朝までは城內に出入するを得たりしも、夫より門
扉を鎖して出入を禁じたれば其後の事は知らずと
て、牡丹臺後の村落は韓人を追出し其家屋內に淸
兵舍營し居れり等の事を知るのみ余等は格別要領
を得ざる談話に時を移す可きに非るを知り、猶直
進せんとす、時午後已に三時太陽は漸く西に傾き
て余等一行の顔を直射し、眩くして前面を直視し
難し、故に余は同行の田鍬軍曹に光線の具合、敵
に利にして我に不利なるを說き、寧ろ迂回して牡
丹臺の後方松樹の間より進むべきを慫慂す、田鍬
軍曹の曰く、否、未た城內の敵影だに見ざるに迂
回の行進を取るは慊からず、唯直行せんのみと、
余頗る不平なり、止むを得ずして從ひ行くこと未た
數步ならざるに狙彈連射余等兩人の頭上を掠む、
余等の驚愕は如何なりしぞ、物をも言はずして稻
田の內に遁れたり、余の田鍬軍曹に與へたる注意
は此時始めて驗せられたり、余はかさねて田鍬軍
曹に向つて道を轉じて牡丹臺の背後より行進せん
事を慫憊む、田鍬軍曹は頑として聽かず、曰く、
彼等は余等が逃遁せしを見て再び近く勇氣無きも
のと思惟し、敢て注意せざる可しと、遂に再び以
前の路を行進するを主張す、余は好んで危を避け
ざるは愚なりと主張し、遂に別路を採りて同一の
目的を達するに決す、余は直に稻田を通じて無事
牡丹臺後の松樹鬱生する邊に達せり、漸次步を進
めて松樹の間を步す、林中處處淸兵の來往するを
見る、余は彼等の警戒深くして到底城內に入込む の途なきを察し、却つて彼等が城外を守備するの
狀を探るに如かずと決し、猶敵眼を避けて松林の
中を徘徊す、箕子墓の近傍に至るや後方より一發
の射擊と共に彈丸は吾頰邊を掠めて前面の松樹を
劈きたり、續いて顯れたるは數名の敵兵なり、余
は捕獲せられなば一大事なりと思ひしかば、急ぎ
松林を脫して、元來し路をたどり、蜀黍畑に潛
む、余は此活劇に豫備も無き眼鏡を失ひ、全く本
來の近視となりぬ、蓋し余は牡丹臺堡壘のみを見
て未だ其後背義州街道に沿たる處に堡壘ありて敵
の充滿し在るを知らざりしなり、若し予をして今
暫く松樹の內に彷徨せしめば、予は全く囊中の窮
鼠となり、猫を嚙むの活劇を演せしやも知れず、
予は兩眼矇朧として本隊に歸り詳細の報告を爲し
ぬ、本隊は牡丹臺に達する道順及び丘陵等の摸樣
を知るを得たりとて大に悅びたり、田鍜軍曹も無
事報告を齎したり、後二日平壤陷落して、義州路
に遁行く淸兵を攻擊する銃砲の響も絶えたりし時
予は一人大同門側(此時大同門は未た開かず)の水
門を操りて城內に入込み、市中を徘徊し、大同館
に入りて敵の文書類を蒐集せしに、敵情を知るへ
き書類夥多なる內に、谷山府の中軍某より淸將に
宛てたる書に、予が谷山に入りたる細報まで記し
ありたり、且つ江東、順安、龍岡、江西、中和、
黃州附近の人民より吾か兵の擧動等を密告せしも
の數多なるを知らず、且つ予をして尤も驚怖せし
めたるは、我斥候間諜を防遏せんが爲め、韓人に
布告したる一條なり曰く、倭人は狡猾にして、華
人韓人に變裝して我陣內に潛入するものあり、然
れども倭人は頭髮を蓄へさるを以て之を隱さんが
爲め、多く農笠或は喪笠を戴く、されば自今韓人
は何人を問はず農笠喪笠を戴く可からず、是れ倭
人と相混視する無からんか爲めなり云云、嗚呼余
等が是迄喪笠を戴き韓服を着けし斥候の勤務は却
つて是れ日本人たるを自白せし危險の仕事たりし
なり、沿道の韓人等豈是等の布告を知らざらんや
而して余等に一言の忠告する無き彼れの不親切は
蓋し無神經なるサラミの常性と雖も惡みても猶餘
ありといふべし、 (をはり)

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