11月30日 廿七日午前十時五分漁隱洞發(揭二○八)
去廿四日報告せし黃海道載寧地方の賊を鎭壓する 又更に海州より平山方向に賊襲來する報あり之に 又昨夜小川第一軍參謀長及び平壤加藤參謀長より 川上兵站總監宛 福原兵站監
廿七日午後三時卅五分發(揭二○九)
河東府地方に派遣の中隊は今日釜山に歸る該地方 朝鮮兵は晉州に百人河東に百人を置守備せしむ目 川上兵站總監宛 釜山今橋兵站司令官
廿七日午前八時五十分仁川發(揭二一○)
東學黨鎭壓韓兵應援として十月十七日忠淸道に派 載寧附近の暴民平山方位に現はれたりとの報に依 川上兵站總監宛 仁川伊藤兵站司令官
廿八日午前十一時卅分發(揭二一一)
晉州地方に在りし東學黨の首領キンセウイは朝鮮 川上兵站總監宛 釜山今橋兵站司令官
●東學黨討伐公報
廣島特派員電報(
爲め黃州より半小隊鳳山、劍水より半小隊派遣を
命じ何れも廿五日出發せり
對し葱莠、金川守備兵より別に一分隊を派遣せり
未だ何れも確報を得ざれども賊は東學黨の一類な
りと認む依りて龍山守備兵の內一小隊を北部兵站
線路に進め便宜所在の賊を討伐すべきことを昨夜命
じたり
應援として步兵約百名派遣の事を申越せり此兵は
今朝載寧地方に出發する筈なり
の東學黨は全羅道の順天府方位に退散す
下暴徒の狀態は我兵を見れば忽ち遁走す
遣したる二小隊及び本月四日別に派遣したる飯村
少佐竝に其部下一小隊は後備步兵第十九大隊と交
代し昨廿七日までに悉皆龍山に歸着せり
り福原少將より龍山守備隊一小隊を兵站路公州の
方位に旅遣の命令あり本日出發せり
官吏の手にて戮殺したり我兵にて生擒し得ざりし
は遺憾なり