12月4日 十一月廿八日午後七時仁川發同十一時大本營着 三路分進隊より今日までに到達したる報告如左
二十三日淸風發東路分進隊長の報に賊榮川に集合 二十四日發在淸州南少佐の報に賊は西山、文義、魯 又此隊は二小隊より成る支隊を陽川、錦山、珍山を 又文義發同少佐よりの報に二十三日文義の賊を打 仁川 伊藤兵站司令官
又我社廣嶋特派員二日午後四時卅二分發電にて左 黃州より載寧地方に派遣せる半小隊は去る二十七
●東學黨討伐公報
廣嶋特派員電報(
(揭二一二)
の確報に接したるを以て京城より派遣の一中隊と
共に此賊を討たんとするに賊は江原道寧越地方に
逃走したるの報に接したるを以て此中隊に協議し
事に從はんとすとあり其後報知なし
城の各地にあるよし
經て淸州に至らしめ本部と殘餘の隊は西路分進隊
と合するの見込なりとの報あり
拂ひ賊の根據地至明樓を衝き賊七名を倒ふし七名
を生擒す賊は西南の方位に退却せり至明樓の賊は
一萬餘なりと公州附近には賊二三萬集合し內支那
兵四五十人あるよし此隊は二十五日燕岐、二十六
日公州に於て西路分進隊に合する豫定なり
の報を齎らせり(揭二一三)
日同地附近にて賊を擊破して十五人を仆し五人を
生擒し數多の兵器彈藥を分捕し終に載寧を占領せ
り賊は約六百人四方に散走せり此戰我兵死傷なし
二十八日更に安岳地方へ向はんとす金州より派遣
せる守備兵の平山附近に在りて專ら海州より來る
賊を警戒せしが今日まで無事なるを以て一先づ引
上げたる報告ありと魚隱洞駐在福原兵站監より電
報ありたり