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1차 사료

사람이 하늘이 되고 하늘이 사람이 되는 살맛나는 세상
二六新報 이륙신보
  • 기사명
    明治27年 12月 7日 井上伯と大院君
  • 이미지
    prd_0130_236 ~ prd_0130_239 (236 ~ 239쪽) 이미지
  • 날짜
    음력 1894년 11월 11일
일러두기

12月7日
●井上伯と大院君

本年の七月廿三日大院君が朝鮮亡國の形勢を坐視
するに忍ひず七十余の老骨を雲峴宮の詫住居より
起し滿城の殺氣妖氛を冒して韓廷に入りたる時は
百戰場經過の老驥が更に千里の志を大漠の間に伸
さむとするが如く雄姿颯爽中外の耳目は君が一身
に攢り人皆な雞林の枯枝此翁の調理によりて再び
春に遇ふならむと評し合へりき然るに大院君は其
出廬の目覺しかりしに似ず今や蕭蕭たる落木と共
にいとも物憂げに朝鮮の政界を去れり

大院君は何故に又元の退隱の身となりし乎之を詳 說するは容易の事にあらずと雖も先づ一言以て之
を評すれば大院君は閔族排斥の爲に廬を出で閔族
の覆轍を履みて復た廬に入りたるに外ならざるが
如し剛毅果斷八道第一の英名ある大院君にして而
かも仇敵たる閔家一族の醜體を學ぶの愚擧に出づ
るとは何事ぞ事大の病毒は如何に深く韓人の心情
を腐蝕したるよ大院君の如き人物を以てして尙ほ
之を避くる能はず實に驚く可きは否な恐る可きは
朝鮮の支那に於ける惡因緣なり

朝鮮政府が日本軍が豊島沖に於て又牙山に於て容
易に支那軍を破りたるを見て心竊かに驚悸したれ
とも顧みて北方を望めば支那の大兵平壤に據り旗
皷堂堂大同江を壓して陣するあり如何に慓悍なる
日本兵なり迚之には敵し得可からずと思はれ韓廷
は前に日本の氣勢に避易すると同時に後に支那の
大兵を心賴みにし進退去就を決する能はずして逡
巡し居たる際久しく大院君の心底に潛伏しありし
事大の心情はサラミ固有の氣質と相抱合して驚く
可き陰謀を企てたり之に就き時事の通信者は曰く
平壤の淸將等が密使を馳せ大に太院君と國王とを
脅迫し若し命に隨はざれば天兵不日降下して朝鮮
政府を顚覆すべしと申越せしにぞ兼て心竊に淸國
を崇拜しつゝありし太院君は如何で喫驚せざらん
俄に使を馳せ淸將と款を通じ遂に大膽不敵にも淸
兵平壤より押し寄せ來らばそれと同時に東學黨を
煽動し匪徒を招集し之れに韓兵を合はせて日本兵
の後を襲しめ南北挾み擊となして日本兵を鏖殺し
其餘勢を以て開化黨なるものを殺戮し在京城の日
本人を誅伐して殘す所なきに至らしめんとの陰謀
を企て其孫李俊鎔及其幕僚をして三南地方の東學
黨及其他の無賴漢を煽動蜂起せしめ而して日本公
使館に向ふては東徒の騷亂頗る劇甚自國の兵勇の
みにては到底鎭撫し得べしとは思はれざるに付何
分の援兵を乞ふ抔と辭巧に述べ立てゝ其陰謀を
掩はんとして平壤淸兵の敗走するや公使館に駕を
枉げて竊に公使の顔色を窺ひ邸に歸るや否や名を
些未の事に借りて陰謀の證據搜索に餘念なき警務
使李尹用を免黜したるは今や掩ふべからざる事實
となれりと

朝鮮獨立黨の首領として仰がれ改革の衝に立てる 大院君にして尙ほ且つ此の如き陰謀を懷きたりと
は容易に受取れぬ談に似たるもサラミ氣質に熟通
する者の眼より見れは怪しむに足らざるならむ、
朝鮮經綸の困難は實に此氣質に基するなり大院君
の陰謀も平壤の陷落と共に氣の毒にも破れ果てた
るを以て君はサラミ得意の巧辯を以て陰謀の痕跡
を蔽はむと力めしが大鳥公使に代りて井上老伯が
京城に乘込みたる後伯は大院君を公使館に招ぎ其
陰謀の確證卽ち我兵が平壤の淸兵營舍內に於て押
收したる大院君と淸將との往復書類を示して大に
詰責したるに大院君一語の以て之を辯ずるなく只
深く考慮の足らざりしことを悔い其罪を謝し且つ
予は今後政治に干與せざるべしと述べたり公使曰
く君の政治に干與せざる大に可なり然れども今後
の朝鮮を如何にせんと欲するや先づ支那の隷屬を
脫したる實を表せざるべからず獨立國たる基礎を
固うせざるべからず又內治の改良を爲さゝるべか
らず此の時に當りて陰に政治に容喙し之を妨害す
ることなきやと大院君悄然之に答へて曰く今後朝
鮮のこと須らく公を煩はすべし願くは大に力を盡
さんことを且つ孫俊鎔年齒尙ほ鮮して世故に慣れ
ず予の注意行屆かざるより遂に其身を誤らんとし
たり倂せ願ふ今後永く公の愛孫として敎を賜はら
んことを公使も亦其意を容れ一任するとある以上
は大に力を盡さんと答へたりとぞ

大院君は斯の如くにして韓廷に止まる能はさるに
至り其退隱は去月下旬に至りて公にせられたり太
院君は再ひ朝鮮の政界に於てゼロの身となりたれ
とも井上伯の勸めによりて尙ほ宮中の事を見暗に
王妃の專權を防ぐの器具となるならむと云ふ老雄
の末路之を僅に數ケ月前の意氣に對看すれば轉た
人をして長歎せしむるなり韓廷は是より愈よ黑頭
宰相のみの舞臺とならむ哉

渡韓後井上伯は果して何事を爲せしかを知らずと
雖も大院君の沒頭は井上伯の出頭を意味す井上伯
の出頭によりて改革の風潮を卜知す可しと雖も老
伯果してサラミを相手に成功し得るや否や前途頗
る氣遣はし聽く同伯は去月二十日二十一日の兩日
を以て國王に謁見を遂げ其要領を逐一奏議し國王
の贊同を得たりと云ふ其項數凡二十支那の隷屬を 脫したる實を擧ぐること、獨立の基磯を鞏固にす
ること、國王の政を親すること、各衙門諸官吏
の職務權限を規定すること、冗費を節減すること
財政を統一すること、王室と政府とを區別するこ
と、法律を制定すること、不必要なる官衙を廢す
ること、軍國機務處の權限を少にすること、顧問
を雇ふこと、秀才を撰拔し海外に留學せしむるこ
と官吏登庸法のこと及朝鮮の國是を一定して之を
萬民に普告する等のことなりしと

井上伯の建策は大要右の如しと雖も韓廷をして之
を實行せしめ得るやは尙ほ疑問に屬す一昨五日京
城發の電報に曰く朝鮮政府は井上公使の勸告に從
ふと稱へて忽ち違背したる廉あり且つ密使を派し
て暴徒を煽動する摸樣あるに就き公使は是迄の勸
告を取消し軍隊を引揚ぐる旨を昨日外務衙門に通
知したり韓廷爲に騷擾し內務大臣は辭職すと

アヽ朝鮮の改革は尙ほ疑問なり

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