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1차 사료

사람이 하늘이 되고 하늘이 사람이 되는 살맛나는 세상
二六新報 이륙신보
  • 기사명
    明治27年 12月 13日 東學黨討伐公報(承前)
  • 이미지
    prd_0130_246 ~ prd_0130_248 (246 ~ 248쪽) 이미지
  • 날짜
    음력 1894년 11월 17일
일러두기

12月13日
●東學黨討伐公報(承前)
廣島特派員電報()發

慶尙道西南部暴徒擊攘の報告(揭二二三)

(九)十六日數多の賊兵鷹峙及び三峯山に屯集する
を見る依て之を攻擊せんとするも河流船なく渡
るを得ず軍夫五名泳ぎて對岸に到り小舟一隻を
得て歸る此際軍夫一名溺死す時正に退潮に際し
船泥中に入り動ず遂に日沒に至り攻擊を果さず

(十)十七日午前七時廣坪洞に於て河を渡り二箇小
隊を鷹峙に一小隊を三峰山に向ひ進ましむ賊は
已に鷹峙に在らず依て全中隊は三峯山に向ひ三
方より進みて擊退し尙一少隊を蟾居驛に進めて
殘賊を破り午後五時河東府に歸る

(十一)十九日午前七時河東を發し鷹峙に至る賊兵
數百城洞附近に群集せるを見る依て四方より包
圍の目的を以て攻擊を爲す賊兵狼狽して四散し 其大部分は蟾居の西方に向ふて退走す後に聞け
ば此賊兵は先日の敗を聞き更に全羅道順天府方
位より來援せしものなりと云ふ此日賊の死者七
人、生擒五名あり又賊の遺棄したる武器其他雜
品等多し

(十二)此日別に數多の賊兵我背後に出で河東府に
迫る我殘留の兵卒八名之を防ぎ先づ賊の旗を携
ふるもの一名を擊殺す餘賊之を見て忽ち退散せ
りと云ふ

(十三)爾後賊兵は皆全羅道順天の方位に遁走し近
傍隻影を留めず依て鈴木大尉以下二十一日河東
府を發し廿七日釜山港に歸りしと

(十四)我兵の歸途に就かんとするや河東昆陽等の
土民數多集り來り或は陳情書を出し或は口頭を
以て尙ほ我兵の留陣を乞ふもの再三に及べり是
れ土民等東徒の再び侵入せんことを畏れ朝鮮兵
の賴みなきに依り切に我兵の留陣を哀願せしな
り然れども我兵は兵站地守備の任務に服さざる
可らざるを以て鈴木大尉は懇懇土民を慰諭し歸
りしなり尙警備の爲め地方官に忠告し晉州に百
人河東に百人の朝鮮兵を置き守備せしめたり

釜山港兵站司令部に於て
十二月一日 兵站冀碇泊場司令官今橋少佐
大本營川上總監宛

追て朝鮮官吏の手にて處分したる暴徒は左の通
りなり

討捕使大邱府判官池錫永より通報寫(譯文)

一晉州キウカイエイに於て捕捉せし東徒二十一名
中魁首林碩俊は八日に梟首し餘の二十名は減刑
の上十二名は放ち八名は現囚す

一昆陽金剛山の戰に於て捕捉せし東徒廿一名中魁
首崔學元は十三日を以て銃殺し餘の二十名は減
刑の上釋放す

一晉州に於て捕捉せし東徒五十八名中魁首金商奎
は十三日を以て梟首し童蒙金卷順は伺日銃殺し
餘の五十六名は減刑の上二十七名を囚へ廿九名
を放つ

一河東渴鹿峙接戰の際銃殺一名同時に生擒せし十
七名は減刑の上釋放す

一日本兵にて捕捉せし三十餘名の隊長金在僖は屢
屢釋放されしに尙東徒に入り縛に就き又金達德
は東徒晉州に入るとき先導を爲せしに依り倀鬼 (組長の意)金成大と共に十月廿四日(韓曆)河東
舟橋場に於て銃殺せり

十二月一日 今橋少佐

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