1月15日
●順天府の東學黨
黑岡筑波艦長の報告大本營(二六二)
去る三日本港の斥候にて間諜の嫌疑者として左水
營へ携へ歸りし東徒鄭撑元を去る四日左水營に於
て金節度使自ら小官の面前にて審問せしに去る二
日夜順天府の東徒より首領を殺し他府縣の東徒を
放逐せしに付き鄭も脫走したるものなりとのこと分
明したり
且つ東徒は左水營にて日本軍艦の營兵と聯合して
順天を攻擊するの計劃あるを聞き驚愕の餘り斯く
分裂せしならんと右同人より陳述せり因て去る三
日、本艦の斥候の接せし順天光陽より來れる使价
の携へたる書面も事實なることを確認したり
然れども金節度使より東徒は是迄國王より數回の
勅諭を下せしも服從せず今回突然恭順を表すると
も輕信し難きを以て猶本艦へ東徒鎭定に付き助力
を請求せり故に四日左水營より河東沖を經て光陽
沖へ回航翌五日早朝より猫島錨地を去ること凡そ二
海里の處に在る光陽縣下浦に本艦分遣隊を上陸せ
しめ三浦海軍大尉及び高木海軍少尉をして指揮せ
しめたり同浦より偵察を行ひ乍ら光陽城(下浦よ
り我三海里餘)に赴かしむ且つ田中海軍少尉に一
分隊を指揮せしめ中途まで送り本艦と連絡を取ら
しめたり
反正の吏員及び人民は市街に朝鮮樂隊を送り先導
を爲さしめ城中に招き一同恭順の意を表し而して
別紙の首級等を實檢に供したり又民砲(壯兵)千六
百人を集め河東府對面の光陽縣下月浦に向はしめ
て東徒を追捕中なることを陳述せり
過日釜山より順天に向ひたる我一中隊及び左水營
より南海縣を經て河東府に至り我陸軍に結合した
る百人の韓兵は同日(五日)午後まで光陽縣に達せ
ず是れ右諸隊は河東にて蟾津江を隔て月浦の東徒
と交戰したる爲ならんと思考す
新城浦にて我陸軍を待居たる李周會が指揮する五
百人餘の韓兵も單獨にて五日まで順天に行軍した
るよし
右の如く順天方面の形勢一變したるを以て本艦は
一先づ竹林浦に回航し且つ當釜山へ投錨し銳意善
後の方略計劃中に有之候
右謹で報告す
朝鮮國釜山港專任艦長
筑波艦長 黑岡帶刀
(別紙)
一月五日軍艦筑波は全羅道光陽縣沖錨地より光
陽縣城に分遣隊を派し左の東學黨の首級及ひ屍
體を實檢せしめたり
レイコ大接主(卽ち慶尙全羅兩道都統領)金州
附近金溝の人金仁培
レイコ首接主(慶尙全羅統領)順天の人劉夏德
右二人は梟首しありたり
光陽縣方向接主朴興西其他凡そ四十名は砲殺
しありたり
順天府臆底接主金哥其他四人は捕縛したり