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1차 사료

사람이 하늘이 되고 하늘이 사람이 되는 살맛나는 세상
二六新報 이륙신보
  • 기사명
    明治28年 1月 24日 全羅道の東徒滅ぶ
  • 이미지
    prd_0130_256 ~ prd_0130_258 (256 ~ 258쪽) 이미지
  • 날짜
    음력 1894년 12월 29일
일러두기

●全羅道の東徒滅ぶ

全羅道の順天府の東徒が其の首領を殺して我軍
門に來降したる次第は再三報ずる所ありしが左
の一報は全羅道の東徒潰亂の狀を詳にせるを以
て玆に揭ぐ

一時全羅道を席捲して暴行掠奪を極め居たる東學 匪徒も今や內に反正の衆民起り首領を殺害し我軍
に歸順を表するに至りしより黨勢俄然衰へ潰散離
走の醜狀を演することとなれり其の槪要を摘記せ
んに我軍艦筑波は舊臘釜山に歸航し去る一日を以
て再び左水營に航行せり是より先去月三十日釜山
守備の陸軍兵一中隊を鈴木大尉引率して陸路順天
附近に向け進發せり是れ順天を根據として左水營
を攻擊し居る東徒を擊潰せんの目的なりとす已に
して軍艦筑波は一日午前左水營に着し艦長以下上
陸左水營に到る此日東徒の一兵卒鄭▣元なる者を
擒にす糺問するに及び鄭曰く順天の東徒は日本海
陸の軍勢攻寄たりとの說喧傳するや是迄東學黨に
從ひ居たる地方の官民不意に內亂を起し首領を斬
害し貴國軍隊に歸順降伏せんとするもの十中の八
九に及び其勢當る可からず故に自分は虎口を遁れ
此所に來るものにてあれば何卒一命を助け給へと
然れども左水營の將官等は之を信ぜず反て彼れ僞
言を吐き我に油斷せしめんとするものなりと疑ひ
居たり同三日我筑波艦より斥候を放ら尙ほ順天附
近に於ける東徒の狀況を偵察せんとするに當り天
順及光陽縣よりの急使來れり其齎らす所の報告書
に去る一日夜順天にては曾て東徒に與みし居たる
地方の官民俄に內亂を起し同府にある慶全兩道東
徒の本營を襲ひ首領鄭虞炯以下を殺し尙ほ光陽縣
に遁がれたる慶全兩道の都統領金仁培及び副統領
劉夏德は翌二日同地にて是亦地方官民の爲め斬殺
せられたるより玆に東徒の勢ひ大に挫折し黨員は
擧て四離八散して殆んど雙影を止めざるに至れり
云云とあり初めて俘虜鄭の言虛ならざるを知るも
朝鮮官吏は尙ほ之を疑ふ依て筑波艦は其事實を確
めんか爲め四日左水營を發し光陽に廻航し同地の
沖合に投錨して翌五日三浦大尉高木少尉水兵一分
隊を率ゐ上陸して光陽縣に向ふ續いて田中少尉水
兵二十名を引率し上陸せり是れ通路の連絡を保つ
が爲めなり已にして三浦大尉の一隊光陽縣に着す
るや反正歸順の官民歡迎して東徒の首領金仁培及
副首領劉夏德の首級を竹頭に貫き其他三十許の死
體を大尉の實見に供し眞正歸順の意を表したりと
形勢斯の如くにして東徒は全く其附近に跡を絶ち
彼れ殘類餘黨は忠淸道に遁れ去りたるものならん と云へり全羅道の東徒は滅盡に歸したるより大尉
の一隊は其日直ちに筑波に歸し同地を引揚げ釜山
に歸り來れり

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