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1차 사료

사람이 하늘이 되고 하늘이 사람이 되는 살맛나는 세상
二六新報 이륙신보
  • 기사명
    明治28年 2月 10日 東學黨討伐公報
  • 이미지
    prd_0130_265 ~ prd_0130_266 (265 ~ 266쪽) 이미지
  • 날짜
    음력 1895년 01월 16일
일러두기

2月10日
●東學黨討伐公報

(一) 全羅道南部の東徒

去月三十日當釜山を發し全羅道南部へ派遣したる
第四中隊長鈴木大尉より別紙の報告昨夜到着せり
(別紙は去る一月十五日全羅道寶城郡を發したる
ものなり)

一月二十五日釜山に於て
兵站兼碇泊場司令官伊津野千里
川上兵站總監宛

第三回報告

本日(十日)樂安郡を發し波靑驛に向ふ途鳥城院を
過ぎんとする際東徒二十餘名陽に良民を裝ひて我
團を迎ふ其擧動頗る怪むべきものあり捕へて之を
糺せば果して東徒の惡計なりし依て韓兵をして直
に刑に處せしむ卽ち左の如し

吳元基(梟首) 外八名(砲殺)

夫より進んで波麥驛に到り舍營す到着少時にして
李周會(李鳳榮の別名)より次の情報を傳ふ曰く日
本軍及び京軍の一部は已に去る八日來長興府に向
ひ東徒と同府の北方約二里の地に戰ひ大に之を破
り死屍山を爲せり

本日(十一日)長興府に到らんとし早朝波靑驛を發
し途上寶城郡に休憩中同地附近の東徒頗る多きを
聞知し遂に同郡に舍營するに決したり午後當郡の
南方二里なる五柳村中に東徒の巨魁以下二十五名
蟄伏すと聞き直に木下少尉を差遣はせしも該徒は
已に遁逃して在村せず嫌疑者八名を縛せり內五名
無罪に付放還し他の六名は巨魁の父なるを以て暫
らく當郡に捕ふ

本日(十二日)次の情報を得たり曰く過日長興附近
に戰ひ敗れたる東徒の多くは當郡所管の各所に籠
れりと依て中隊は當分當地に滯在し殘徒征勦に決
し專ら四周を搜索せしむ

本日(十三日)次の情報を得たり曰く當郡の南方約
一里半を隔つる村落普春洞に東徒五十餘名及び北
方約一里を隔つる代加村に(譯者云此間に蓋し脫
字あらん)庄野特務曹長を普春洞に孰れも若干の
兵を付し到り擊たしむ

然るに代加村の敵は已に遁れて在村せず普春洞も
亦集團せるものなく七名の東徒及び七名の嫌疑者
を縛せり本夜再び次の情報を得たり曰く東郡の東
方二里餘を隔つる海倉山中東徒百名屯集せりと

本日(十四日)昨夜得たる情報に依り中隊(四分隊
殘留を率ゐ海倉山に向ふ東徒已に我軍の向ふを知
り此夜を以て四散し在らず僅に十一名の殘徒を縛 す而して山上將に竣功せんとす家屋四戶發見す蓋
し賊徒屯集の用に供せんとするものなり依て後日
を慮り悉く之を崩壞せり

本日(十五日)當郡の四周一里乃至三里の地に下士
斥候六組を派遣し合せて五十一名の東徒を捕縛せ

右は目下當方面の狀況なり

去る十五日長興に向ひ派遣したる斥候と復州より
來れる第二中隊の斥候及び楠野少尉の書翰等に依
れば第十九大隊第一隊第二中隊の枝隊及び第十八
大隊白木中尉の率ゐる敎導中隊は聯合して三面よ
り南面方位に進擊しつゝあるものゝ如し而して第
二中隊は本日靈巖に向ふて綾州を發し進んで庚津
海南の殘徒を攻擊せんとする計畫なり然るに楠野
少尉より受けたる書而に依れば同地方は漸次鎭靜
の摸樣なり

第十八大隊の敎導中隊は竹川洞附近に於て三四百
の敵に遭遇し之を擊破したりと京城の韓兵百名も
同隊の跡を追ひ光陽より順天樂安を經て當郡に來
り已に本日綾州に向け出發したり、當中隊は長興
庚津を經て海南地方に向はんとせしも前記の如く
同地方は漸次鎭靜の報あり

當郡郡守以下各官吏に付嫌疑の點鮮からざると其
他近村の殘徒征勦に至らざるを以て尙當分當地に
滯在し充分探偵の心算なり、目下各地の狀況より
察するに今後彼等と鋒を交ふべきことは萬萬なかる
べし

右報告に及び候也

全羅道寶城郡に於て
第四中隊長鈴木大尉
大隊長今橋少佐宛

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