2月16日
●朝鮮に對する日本
左の一篇は千八百九十四年十二月發兌「チヤイ
ニースレコーダー」なる雜誌より抄出せるもの
日本國は多年文明諸國と對等の地位に立たんことを
欲したれとも歐洲各國は之を許さざりしなり之れ
が爲め從前の友情ある人に依任する精神ある日本
人は次第に冷淡なる不羈獨立の感情を抱くものと
なれり而して此感情は今後益益盛なるべしと信す
然し近頃日本は英國との間に條約を結べり此條約
は日本が永年渴望せし所の者なりしなり而して余
は他の諸國も亦英國と同樣なる條約を結ぶに至る
可きを信ずるなり玆に日本を親愛する人に取りて
喜ぶべく且驚くべき事件起れり卽ち日本は日本の
今の位置より高位置に立たんことを請求するは正
當にして且つ適當なりとの事にて日本の進化せる
は只外形上物質上の文明のみによるに非ず又當今
北支那の戰に於て顯はしつゝある陸海軍の强勢な
るのみによるに非ざることを世界に發表しつゝある
なり
今日の日本が昔日と異なるを見んと欲せば三百年
前日本が無名の師を起し韓國を攻掠し殘虐なした
る當時に回顧せば自から了然たる可し其當時に在
ては殺戮を嗜むの念に堪へず殘民の財産を掠奪し
て尙ほ足れりとせす一戰に三千六百の敵を虐殺し
之れが耳を切て分捕品に加へ市に曝せし如きことを
なせり今ま日淸戰爭に關し其原因及び日本の處置
に付き前述のものと對照せんに數年間日本は韓國
人心の潰崩才智の退却極點に達せる憐むへき望み
なき有樣を感慨しつゝ熱心に觀察し居たり支那の
對韓政策の結果として朝鮮政府は萬事進步に反對
する方針を取り來れり韓王及ひ王の親臣は再三之
を改革せんと企圖したるも嘗て成功することなか
りしなり
裁判官デニーなるもの韓王は支那人が企圖せる陰
謀と衝突せる所あるを以て此等の淸人は韓王を暗
殺せんと企て居れりとの出版物を發せり支那は自
國の用を便ぜんが爲めに韓人▣金錢を徵收し爲め
に無上の貧國たらしめたり朝鮮の南方に於て奸吏
酷稅を課し虐政を行ひて爲めに一揆起りしが少勢
にて無勢力なる韓兵は之れを平定すること能はざり
き京城に在る支那黨の有司等は支那に補助兵を仰
げり一千八百八十五年日淸間に結びたる條約に違
反し此韓國に出兵することは實に日本人をして戰は
ざる可らざるの感念を發起せしむる端緖且つ理由
となるものなり日本人は韓國は自ら治む可し他國
之れに干涉すべからず韓國は日本と同一の道によ
りて文明の域に進まざるべからざるなりと忠言を
韓國に與ふべき時來れるなりとなし此目的を達せ
む爲めには如何なる勞をも取らんとの決心をなせ
り
當初に於て世人或は日本が軍隊を韓國に派遣する
は只之れが獨立を助けんとの目的に止まらずして
他に意志あるものと信ぜるものなり故に屢屢此戰
は韓國を征服せんとするならんとの言をなし又は
斯く信ずるもありたり然れども今日迄の所にては
日本が韓國に向つて處する所は甚た尊稱すべきも
のにして韓國を助け其正當なる權利を保護せんと
するの目的なること明明白白たり而して此目的を
達せんが爲め適當に正直なる官吏の新階級を確定
するが爲め種種の盡力をなせり
韓王が日本有司の爲め幽囚せられたりとは虛報に
して王が日本兵に王及び王宮を保護せんと乞ひし
なり支那と心を一にする或る一部分の韓兵は日兵
の王宮に入るを妨げたりしも抵抗すること能はず
其結果として支那黨の官吏は其位を失ひ進步黨の
人代りて其位置を占めたり又十七人の高等委員會
を設け國務を開新すべき着手の綱目を整理せしむ
國王は此十七人は各自獨立せざる權力を有するも
のなりとの勅命を下し支那との開戰を宣告すへき
契約を日本と爲せり
日本兵が入韓せしことは韓人をして甚しく怖れしめ
たり蓋し韓人は未だ前年受けたりし殘酷なる處置
を忘れず又再ひ虐せられんことを怖るゝなり然る
に驚くべく嘉すべきは日本兵能く規律を守り再び
敵をも親ましむる如き主義を執り大に賞讚を得た
り人民に害及び不便なからしむる爲め保護を加へ
居るとの報所所より到り有司をして今後斯かる害
なからしめむとの決心をなすに至らしめたるを見
れは今日迄如何に深刻なる虐政の行はれしかを察
するに足らむ
近頃朝鮮の田舍者の言ひし詞に「日本人は如何な
る物にも代價を拂ひ行くなり水汲男にも代を拂ふ
なり」と尙一層見るへきものは京城に在る日本領
事が本國の給與によりて貧賤困究なる市民に施を
なせることなり
日本の軍隊は完全なる軍務官及衛生部を備ふ近頃
英國に托して新造せし橫濱丸は赤十字社の特別御
用船となれり此の如く萬事行屆くが故に軍隊兵卒
等不自由を感ぜず已に日本軍は自家の衛生をなす
に止まらす支那兵の負傷して戰場に放棄しあるも
のも同樣に看護せり捕虜の如きも文明耶蘇敎國と
同樣なる方法を以て遇する也
又日本皇帝は支那人の商業の目的にて日本に在る
ものは其業を妨ぐること勿れとの布令をなせり今日
迄は確かに此布令を順守され居るなり又人民の福
利を增進するを助くる日本の政策に從ひ京城の改
革委員會にては讚譽すべき數多の改革をなせり若
し之を實行せんには其益利實に大なるべし
以上に述べたる事實は日本が此の戰を爲せる進步
の敵なる支那を敵として爭ふなりとの高尙なる目
的なることの十分なる證據なること明明白白なり
日本は仁慈と文明の利益を求むるなり故に日本は
各國に尊稱信用せらるゝ價値あるなり文明國の間
に在つて差支なきなり