2月23日
●對韓の方針に關する
伊藤首相の演說
昨日衆議院に於て長谷場氏は對韓の方針に就き
伊藤首相に質問せしに左の如く答辯せり
朝鮮に對する我が政府の方針に就きまして朝鮮國
と初め交際を結びし以來一も變遷を致したことばな
いと存します則ち淸國は彼れを屬地と認めて我が
意見が當初より兩兩相容れざる所のものである素
より他國に對して交際をする上に於ては時に事情
に多少の變遷なきに非すといふことは論を俟ちま
せぬが去りながら我邦が朝鮮に對するの大方針に
至つては今日迄一も變つたことはないと本大臣に
於ては確信致して居ります其証據を擧げますれば
淸國は其獨立を主張しながら朝鮮の外交に於ては
常に其責任を避け其の內政に於ては强ひて之れが
干涉を爲さんと試みて而して最も朝鮮と接近親密
なる實際を結んで居る邦は我邦を除くの外にない
のであります故に彼の干涉は常に我邦と朝鮮との
交際の妨げと相成のだ倂しながら事小なるものに
於ては一一之を排除して行くといふ譯には參りま
せぬから或は今日迄始めて明治九年に我邦が使節
を派して彼れと貿易の條項を締結した以來のこと
に付ては諸君に於て或は非難の廉あるかも知れま
せんけれども是れは過去の小歷史と存じますが遂
に昨年の一事の如きに至ては如何にも朝鮮東學黨
の叛亂を名とし且つ其叛亂の起りし以前に當つて
は朝鮮國に於ける內情及び支那より派出してある
所の官吏の擧動其行爲に至つては我邦と朝鮮との
交際を阻隔せんと務めたることの證跡を明に認め
たのである (未完)