4月8日
全羅道古阜郡で反亂
民亂頻繁 昨年は平安、咸鏡、黃海等の諸
道に民亂あり、殊に東學黨のごときは忠淸、
全羅の兩道に跨り、一時は全國を震動せしめ
たり。本年に入りても、早く旣に開城府に事
起り、近頃に至りてようやく鎭定せしが、こ
のほど全羅道古阜郡にもまたまた民亂起り、
未だ討平するを得ず。政府は同道の監司たる
金玄鉉氏を處分するに、越棒三等の典を以っ
てし、罰棒を命じ、古阜郡守趙秉甲は今なお
拿問中にあり。また長興府使李容泰を按覈使
に命じ、日夜馳往嚴査の上登聞すべしと命じ
たり。また聞く處によれば、黃海道黃州にも
民亂蜂起し、官兵に抗し、殺傷すこぶる多く、
事態はなはだ穩やかならずと云う。要するに
皆虐政暴徵の結果なりと云えり。