5月16日
鎭壓に兵士六百人を派遣
朝鮮京城通信[五月八日發] 東學黨猖獗
一昨日報道せしごとく、東學黨、全羅道古
阜郡の民亂の余焰に乘じ、監司の失政を唱え、
地方金滿家もまたその苛稅に苦しみてこれに
黨したるため、いよいよ猖獗を極め、監營よ
り出張したる官吏六名は彼等の手に斃れ、事
態はなはだ穩やかならず。近來同監營より急
電すこぶる頻繁にして、政府部內も混雜を極
むる樣子なるが、去る五日、壯衛營の兵士五
百名汽船に乘じてかの地に向かい、翌六日、
また百名ばかりを陸路出發せしめたり。右の
事件に付き當政府が部署する處は、この衛營
正領官(洪啓薰)を以って兩湖(全羅道を云う)
招討使に、李基東を以って忠淸道公州の營將
に、趙義文を以って全羅道淸州の營將に、具
鐘說を同五衛將に、李根弘を宣傳官に、李文
永を全權兵使に任じて出發せしめ、招討使の
節、啓制聞、文牒等は宣撫使の例を以ってす
とのことなれば、生殺與奪はもとよりその權
限內にあるものにして、馬牌、印信等をも授
與せられたりと云う。右の洪啓薰氏は剛毅質
直の名高く、かつ强力の聞えありと。啓薰は
近頃變名したるものにして、昨年までは洪在
義と稱し、かつて忠淸道の東學黨征討に向か
いたる人なり。さてまた當國兵士の通行する
や、沿道到る處無錢飮食を許すため、地方人
民の困難一方ならざるはこれまでの例により
て明らかなれば、このたびも沿道の人家は大
いに苦しめらるることならんと云えり。