5月22日 東學黨益す猖獗 全羅道の亂民は彌よ其勢を增し今 兩湖招討使の急電 ▣きに親軍壯衛營の兵八百餘を引 忠淸道東學黨亦猖獗 同道の東學黨は昨年も報恩なる 慶尙道金海府の民亂 同府下の民八千餘府城を襲ひ直 一以慶尙道監李容直狀啓金海府使趙駿九旣當民變至 以て其亂暴の樣を推知すべし右に付更に許 我內地旅行者の保護 近來京畿、忠淸、全羅、慶尙四道
○朝鮮京城通信
は官軍も其鋒に當るべからず兩三日前全羅道監司の
急電に據れば賊勢愈よ猖獗を極め破竹の勢に乘じ全州
を陷れんとす官軍防ぎ戰ひ遂に賊の破る處となり敗走
四散すとあり電文の簡なる其詳細を知る能はずと雖も
略ぼ其狀況を察するに足るべし當時東學黨は泰仁、古
阜、井邑等(京城を距る韓里程六百里內、韓の一里は我
四町)の諸地に跋扈し何れも民望を得たるものゝ如し
率し淸國軍艦平遠號當政府汽船蒼龍號竝に利運社船漢
陽號にて全羅道に向ひたる洪啓薰氏は去る八日仁川を
出帆して十一日目的地に到着し今尙ほ開戰せざるが一
昨日彼地より急電を以て賊勢衆多にして當るべからず
依て速に援兵を派遣せんことを請ふとの旨を當政府に
申越したりと
地を根據として穩かならざる擧動ありしも魚允仲氏の
下向に際し大事に及ばずして止みたりしが今忠淸道監
司の上書によれば近來又又同道報恩、懷仁、沃川、懷德、
鎭岑等(京城を距る孰れも四百韓里以內四日程の地)
の諸地に同黨の蜂起を見るに至り其數算なく遂に公州
を陷れんとするの勢ありて事態容易ならず同地は彼の
全羅道の戰地と僅かに我二十餘里を隔つるのみなれば
兩處の亂民にして萬一相聯絡するに及べば由由敷大事
となるべしとて政府部內は頗る混雜の樣子なり
ちに府廳に入り府使を放逐したりとの噂ありしが本日
發の朝報に左の如く記載しあり
於見奪印符擔出境外揆以法意決難仍置爲先罷黜事
傳曰令該曹口傳各別擇差不日下送
府使に命じ彼地に赴かしめたり
の民亂多きが爲めに統理衙門より我公使館に向て其地
方にある吾邦の旅行者を呼び返さんことを依賴し來り
たれども遠方の事とて至急に之を如何ともすべからざ
れば我公使館より其事情を述べ更に統理衙門に向て其
保護方を依賴したり