5月26日
○東學黨の狀況
に就ては▣ば本紙上に揭ぐる所ありしが猶ほ聞く處に
よれば全羅道に於て
東學黨の根據 とする處は古阜と全州との間にある白
山にして同山は直立凡そ二十五間あり滿山老松にして
三面は絶壁となり▣かに一道の經路によりて攀づるを
得べく山上には深溪ありて能く數千人を潛ましむるに
足れり又同黨は執れも
白布を頭に捲きて 徽章となせるが其中一百名許の騎
兵は通常の服裝なりと
河水を決す 全羅道の金堤及び萬頃と云へる地には一
大廣田あり河流に沿ひ長堤を築きて水を堰き止めある
が同黨は此堤を切り放ちて河水を引入れたれば兩地の
蒼田は忽ち一碧の湖水と變じたり又忠淸道なる召野廣
門と云へる廣田にも同一の有樣なりと
東學黨の兵糧 東學黨の蜂起すると共に各地方官は執
れも一身の安を計るに急にして取るものも取あへず慌
忙き逃走したるより同黨は思ひのまゝに官廳に具へあ
る兵伏糧食等を奪掠するを得たるを以て一層の氣焰を
增加したるものゝ如し且前年に於ける同黨の敗亡は重
もに兵器の缺乏に由りしかば此度は一策を案じ出し地
方の愚民に吹▣するに野雉の類を多く購入すべきこと
を以てし而かも其價は格外に高價なるより遠近の▣師
吾も吾もと賣込みに赴けば意外にも忽ち其▣銃を奪取
られ剩へ吾黨に加はらずんば卽時に寸斷すべしと强迫
せらるゝより已むなく黨中に入れば生活向きも存外に
安穩なれば絶て逃れ去る者なく隨て此事柄の漏洩せざ
るより▣師の來る者愈よ多く遂に同黨銃兵の多數は此
▣師に由て組織さるゝに至れりとの說あり或は事實な
るやも知るべからず又同黨は右の如く諸地方の官廳に
於て掠奪を恣にしたる爲め
金力も充分あり て地方人民の衣食を掠奪する等の事
なく皆之を買入れ立どころに不足なく代金を支拂ふ爲
めに其地方の物價を騰貴せしむる程なりと但し是は一
部に止まり土地により種種事情を異にせるもあるべし
騷亂地近傍の吾行商 今回騷亂の中心たる古阜地方は
我邦人の行商する者少き由なれども程遠からぬ錦口群
山地方より礪山縣黃山地方に至る間の沿岸に行商する
者は其數鮮からず遠近之を合するときは大凡二十人に
達するならんと云ふ