5月29日
全羅道北部も蹂躪、政府軍は食糧難
民亂事件一束 全羅道監司の飛電頻頻とし
て、日に幾回なるを知らず。しこうしてその
報ずる處は、一として官兵の敗走にあらざる
はなし。前便旣に報ぜしごとく、錦山屯集の
徒は、朴某なる者一隊の負褓商を率い、擊っ
てこれを退けたりしも、その後再び大擧して
扶安(京城を距る五百七十七韓里、六日ほ
ど)を襲い、官庫を毁ち、錢穀、兵器を奪い、
官吏を殺し、轉じて井邑(京城を距る五百九
十二韓里、六日半ほど)に突入し、官舍を燒
き、錢穀、兵器を掠め、また玉果縣(京城を
距る七百十二韓里、六日ほど)に聞入して、
縣監を縛し、兵器を掠め、かつ茂長(京城を
距る六百二十二里、六日ほど)を侵して、官
舍を燒き、兵器を奪い、囚人を放ち去れり。
その勢いいよいよ猖獗にして、官兵皆その衝
に當るあたわず、全羅道北部多くはその蹂躪
する處となれり。今にして救わずんば、全州
は全く孤立の地位に陷らん。忠淸道監司もま
た到底防守するを得ざることを訴え、飛電
頻頻應接に遑あらず、政府部內の混雜はなは
だしく、今後の狀勢また想像するを得ざるな
り。
親軍壯衛營の兵 親軍壯衛營の兵八百は、
さきに洪啓薰氏を將として海路全羅道に向か
いしが、上陸の後敵の狀況を探知するや、早
くも畏怖の心を生じ、遁走する者おびただし
く、今や余す處わずかに四百に止まり、兵氣
沮喪してまた戰意なし。助くるにその最も困
しむ處は、兵糧の欠乏にあり。八百の兵携う
る處の糧食は、仁川の大佛ホテルより購入せ
る麪包千斤のみなれば、かの地に着するや早
く旣に空乏を告ぐるの有樣にして、貢米等を
貯蓄せる倉庫、多くは旣に賊徒の奪う所とな
りたるため、また策の施すべきなき折柄、東
學黨は令を府縣に下し、吾が黨に與する者は
每日錢三百文、草鞋一雙を給し、糧食にも飽
かしむべしと唱道せしために、官兵もこれに
誘われ、兵器を携え敵に投ずる者多しと云う。