5月30日
朝鮮東學黨の騷動
に就て
朝鮮に於ける東學黨の騷動は此程來の紙上に記す如く
其勢頗る猖獗なるが如し所謂百姓一揆の類にして一時
の騷ぎなれば意に介するに足らざるが如くなれども唯
掛念す可きは朝鮮政府の威嚴行はれずして容易に鎭制
すること能はざるの一事なり昨年同黨の騷動も丁度五
六月の頃にして彼政府にては兵隊を派遣し或は說▣の
官吏を發する等、一方ならぬ盡力を以て遂に鎭制した
りとの事なりしが僅に一年を隔つる昨今に至り又又再
燃して然かも其勢の猖獗なるを見れば眞實鎭制した
るに非ずして政府の官吏輩が表面に無事を裝はんが爲
め殊更らに鎭制を聲言して事實を曖昧に付したるには
非ざるか或は然らずして實際に鎭制の功を奏したるも
のとするも未だ一年ならずして再發とあれば彼政府の
威嚴は毫も行はれずして紀綱全く地に墜ち人民擧て亂
を思ふの情を察するに足る可し其黨の有樣を聞くに別
に統率するものもなくして全く烏合の徒に過ぎざるが
如くなれども兎に角に忠淸全羅兩道の邊に跋扈して現
に官吏を殺し兵器を奪ひ官兵を破りたる等の報道續續
到來するを見れば暴徒の勢は容易ならざるが如し政府
にても大に兵を發して其地に向はしめたるよしなれど
も元來朝鮮の兵隊は殆んど無規律にして地方に出ると
きは人を苦しめ物を掠むる等、亂暴至らざる所なきの
習にして人民は賊徒を畏るゝよりも寧ろ官兵を畏れ其
過ぐる所は老若男女荷擔して起つの有樣なりと云へば
兵隊の發向はますます民心を激して却て黨の勢を奮は
しむるの奇相なしとも云ふ可らず其勢ますます盛なる
に乘じて今の政府に不平を懷く士人の輩が其仲間に入
り烏合の衆を統率するにも至らば由由しき大事にして
或は鷄林八道を風靡して遂に政府を顚覆するやも未だ
知る可らず其成行は如何にしても他國の事にして我國
人の與り知らざる所なりとは云へども我輩の所見を以
てすれば朝鮮の內亂は日本立國の利害の爲めに決して
等閑に付す可らざるものありと云ふは外ならず若しも
賊勢猖獗を極めて政府の力を以て鎭制すること能はざ
るのみか政府自身さへも殆んど危急存亡に瀕して一國
制御の權力を失ひ恰も無政府の有樣に陷るに際し若し
も他の强國が之を機會として大に干涉を試みるが如き
こともあらば如何す可きや今日の實際に有り得べき出
來事にして實に容易ならざる次第なれば我國人たるも
のは彼の騷動を他國の內事なりとして看過することな
く銳敏に觀察を怠らずして其騷動いよいよ甚だしく自
國の力にて鎭制の見込なきに至らば我兵力を假して鎭
制の效を奏せしむるの覺悟なかる可らず他國の內事に
關して漫に兵を發するは素より能はざる所なれども其
政府よりの依賴とあれば國交際の慣例に於て差支はあ
る可らず其邊の機宜を料理するは一に外交當局者の
手腕に存するものにして我輩の豫め注意を乞はんと
欲する所なり若しも我國にして之を等閑に付し相關係
せざるときは朝鮮政府は危急の場合に至り必ず支那に
向て援兵を請求することならん支那は元來朝鮮を屬國
視して常に其保護に怠らざるが故に斯る場合には請求
までもなく大に兵を發して鎭制の勞を執ることならん
若しも支那の兵力を以て朝鮮の內亂を戡定し其政府の
自立を助くるにも至らば彼半嶋國の全權はますます其
手中に歸して朝鮮獨立の實を害し其結果は東洋に於け
る我國權の消長にも影響すること明白の成行なれば
吾吾日本國人は豫め玆に着目して機會を誤らざるの
覺悟肝要なる可し成は假りに一步を退て獨り自から
先んずること能はずとするも支那政府ガ援兵を發する
の場合には日本も亦彼と同勢力の兵を發して是非とも
對等の地位を占めざる可らず吳れ吳れも當局者の注意
を望む所なり然りと雖も右は萬一の場合の用意にして
目下の事に非ず目下の事として忽にす可らざるは彼
國に在る我居留人民を保護するの一事なり東學黨の勢
假令ひ彼政府を顚覆するまでに至らずともますます跳
梁の勢を逞ふして居留地の邊に其餘波を及ぼすこ
ともあらば我人民の生命と財産とを如何す可きや仁川
釜山等には常に我警備の軍艦もあり今回の騷動に就て
は更に其數を增したるよしなれどもいよいよの場合に
立至り九千餘の居留人民を保護するに二三隻の小軍艦
にては覺東なし而して日本人は啻に海岸の開港場のみ
ならず內地の京城にも居留するもの少なからざること
なれば軍艦の保護のみにては如何にも不安心に堪へず
是非とも別に保護の工風なかる可らず兵隊を彼地に置
くは天津條約の許さゞる所なれども朝鮮多事の今日に
當りては自から臨機の工風なきを得ざる可し我輩の敢
て當局者に▣む所なり