6月13日
彼等の驚駭想ふ可し
今回朝鮮への出兵は彼地の內亂に付き我居留官民保護
の爲めにして特に支那政府に向て其事を通知したるは
天津條約の規定に從ひたるのみ彼の東學黨の騷亂に就
ては朝鮮政府の微力なる自家の防禦さへも覺束なしと
云ふ況して他國人を保護する如き到底行屆かざることな
れば苟も他國人にして生命財産を彼地に托する者は其
國力を以て自から保護するの外ある可らず我國の出兵
は卽ち之が爲めにして支那人の擧動とても同樣の次第
なる可し尋常一樣の事にして毫も怪しむに足らざるに
然るに我國に在る支那人朝鮮人は今回日本政府の決斷
を聞て大に驚駭の色あるよし單に廟議の一決を聞て驚
くが如きものならんには我兵隊軍艦がいよいよ彼地に
到着して實際に其勢力の如何を目擊し又これを傳へ聞
くにも至らば彼等の狼狽は如何なる可きや今より想像
す可きなり近年來日本の東洋政略は勉めて平和を旨
として事を好まず東洋と云へば日本支那朝鮮三國の關
係なれども朝鮮の事は明治十七年の事件以來、殆んど
放擲し去りて他の自由に一任し支那との關係の如きは
最も注意して事の穩便を謀り言ふ可きことも言はず爲
す可きことも爲さずして萬事圓滑に經過したるは只管
東洋の平和を維持するの意に出でたることなれども平
素より慠慢なる彼國人等の眼を以て之を見れば日本人
は他の威力に畏縮して最早や爲すこと能はざるものと
認めたることならん次第に輕蔑の念を長じて我を侮り
時としては傍若無人の擧動を演じて其事實の認む可き
もの少なからざるのみならず近來に至りては殊に甚だ
しきものあるが如し抑も日本國人の侮る可らずして恐
る可きは從來の歷史に▣しても彼等の明に知る所にし
て竊に憚りたるものが遽に一變して反對に之を侮るに
至りしは如何なる次第なるや近來我國勢振はざるの事
實を示したることにてもあるやと云ふに或は十七年の
始末を以て日本の畏るゝに足らざるを速了したるなら
んかなれども彼の始末の如きは日淸兩國の實力を較し
たるものとは見る可らず只少數なる彼我の兵隊が銃砲
に火を點じたるまでのことにして戰を交えたる次第に
非ざれば流石の支那人と雖も彼の一事を以て全體の輕
重を速了するが如き淺墓なる推測は爲さゞることなら
ん然るに其擧動の傍若無人なること斯くの如しとは自
から他に理由の存するものなきを得ず我輩の所見を以
てすれば其理由は日本に於ける國會開設の一事にして
彼等は議▣の言論の放縱過激にして政府に反抗するの
事實を認めて之を判斷するに自家固有の見識を以てし
て以て日本の爲すことあるに足らざるを鑑定し扨こそ
我を侮るに至りしには非ずやと敢て測量するものなり
國會開設は卽ち立憲政治にして言論の自由は其政治の
本色なり日本の國會は苟も帝室の尊嚴を犯さゞる限り
如何なる事を議し如何なる事を論ずるも自由自在にし
て毫も制限せらるゝ所なし政府の政略を攻擊し當局者
を▣り倒すが如き尋常の事にして敢て奇と爲るに足ら
ざれども君臣の分、上下の別など幾千百年來儒敎主義
の紋切形に腦膸を刻まれたる支那人等の眼より見れば
是れぞ所謂處士の橫議なるものにして紀綱紊亂の極と
認めざるを得ず不屆至極の言論を逞ふして反抗を試み
る不逞の徒さへ壓すること能はざる日本政府が外國に兵
を出すなどは迚も叶はざる次第なりとて一槪に輕蔑し
たることならん或は我國に在留する彼國人等が本國へ
の內報の如きも國會紛擾の一事を見て政府の威令行は
れず民心は四分五裂の有樣なり日本は最早や亡國も同
然、決して畏るゝに足らずなど眞面目に報告してます
ます本國人をして日本を侮るの念を長ぜしめたること
ならん然るに其亡國の政府が今回の事件には廟議卽決
して出兵の計畫甚だ盛なりと云ふ俗に云ふ足許から鳥
が立つの▣に違はず彼等の驚駭も決して無理にあら
ず周公孔子の末流が化石の如き腦髓を以て漫に今世の
觀察を逞ふし自から事の眞相を誤りながら今に至り
て遽に狼狽するとは唯失笑に堪へざるのみ抑も立憲國
に於ける人民の言論は甚だ自由なり自由なるが故に時
としては甚だ劇烈にして啻に政府に反抗するのみなら
ず或は政府を倒すこともある可し誠に殺風景なれども
政府の一起一伏は政海一時の波瀾に過ぎず假令ひ幾回
の更迭あるも政府は政府大臣は大臣にして政權の弛張
國力の消長に關係するものに非ず內の政治に就ては千
萬無量の反對攻擊あるも一旦急要の場合には一令の下
に陸海幾萬の兵を動かすこと甚だ自由なり自から是れ
憲法の規定する所にして立憲政治の本色なり誠に覩易
き事實なれども儒流國人の知る所に非ず今日と爲りて
は彼等も自から自家の無智無學を悔ゆるの外なかる可
し
大鳥公使ら仁川に到着
大鳥公使竝びにその一行は、昨日無事に仁
川に到着したる由にて、同日午後二時仁川發
の電報、昨夜九時過ぎ東京に達したり。公使
は直ちに京城に入るならんと云う。