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1차 사료

사람이 하늘이 되고 하늘이 사람이 되는 살맛나는 세상
時事新報 시사신보
  • 기사명
    明治27年 6月 20日
  • 이미지
    prd_0131_036 ~ prd_0131_038 (308 ~ 310쪽) 이미지
  • 날짜
    음력 1894년 05월 17일
일러두기

6月20日
大鳥公使、海兵數百人を率い京城に入る

吾が駐韓公使大鳥圭介氏、仁川港に到着し、
海兵數百を引率して、直ちに京城に入るべし
との風聞、韓廷に聞こゆるや、韓廷の驚駭一
方ならず、卽時領議政沈舜澤、左議政趙秉世、
右議政鄭範朝以下、滿廷の臣僚首を鳩めて密
議を凝らしたるが、思いも寄らぬ日本兵が、
かくまで速やかに波濤を越えて仁川に顯われ
たるは、畢竟ずるに韓廷より東徒鎭壓のため、
援兵を淸國政府に請うたるがためなるべし、
されば日本兵の撤去を請求して、禍いを未然
に防がんには、

第一、援兵請求は韓廷の決議にあらざるこ
とを表白せんがため、當該の高等官一名を
犧牲に供して相當の罪に行い、第二、淸將
袁世凱に歎願して、未着の淸兵を中途より
撤去せしむるの外なし。

との策に一決したり。當該高等官を刑に處し
て、滿廷の失策を一人に負わしむるは韓廷從
來の慣手段なれば、容易に行わるることなる
べし。淸國援兵のことは經理廳大將閔泳駿の
獨斷にして、韓廷の毫も與り知らざる所なり
として、泳駿を黜くべしとの風說もっばら行
われたるは、これがためなり。次に援兵中止 のことは、事支那に關するを以って、直ちに
袁世凱に計りたるに、世凱の答えに、

淸國兵士は旣に裝を整えて途にあるを以っ
て、今故なく撤去することあたわざれども、
日淸兩國の兵士一所に駐在するときは、衝
突の憂いあれば、世凱自から仁川に赴き、
大鳥公使に面會して、日兵入京の事を談判
すべし。

と云いたる由なるが、その實、袁も我が海兵
の擧止敏捷にして飛鳥のごとく、思い寄らざ
る間に、旣に仁川に上陸したるを聞き、その
驚駭毫も韓廷と異なるなく、殊に驅け引き上、
一步先んぜられたるやの觀あれば、一時は非
常に狼狽したれども、兎に角に日本兵を拒ん
で入京せしめざるより外に良策なしと思い、
さてこそ、右のごとく韓廷へも通知し、自身
仁川に下りて談判すべしと思い起ちたるなら
ん。(中略)

さてまた日本兵は、初めより兵器、糧食、
その外すべて正式に艦內に積み込みたるを以
って、悉皆これを陸揚げして、兵士の進行す
るを得るまでには三、四時間、或いはその余
も費すべき予定なりしに、實際仁川着港のと
きは、案外にも前後わずかに一時間にて悉皆
陸揚げし、數百の海兵規律正しく海岸に整列
して、聲高にその祝意を表したり。

かかる有樣なれば、居留地の各國人は事の
不意なるに驚き、種種の臆測をなしたる樣子
なりしが、少時にして皆皆海岸に集まり、日
本兵を取り卷いて珍しげに見物したりと云う。
それより大鳥公使を初め、皆皆時を移さず强
雨を冒して京城に向かい進行したれども、大
砲だけは雨を防ぐため船に移し、漢江を淵り
て楊花鎭に陸揚げせしめ、一同首尾よく京城 に入りて、帝國公使館の丘上に仮の陣を構え、
この日より喇叭の音、時に丘下の街▣に響き、
日章の國旗日頃に倍して色鮮かになりし云云。

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