6月28日
先遣部隊、宇品港を出發
六月二十五日午前廣島▣…▣
遠) 出發當日の光景▣…▣
の艨艟烟を吐いて碇泊す、誰かその解纜の近
きに在るを思わざらん。しかるにこの時は貨
物積載の命下りしも、未だ出兵の令出でず、
ために兵を動かすあたわざりしが、二十三日
夕景に至り、ようやく出兵の命ありし由にて、
直ちに命令の執行に着手し、兵士は夜陰に乘
じて順次宇品に向かい、未明の頃より各自そ
の指定されたる各軍用船に乘り込めり。この
事を聞き、その發程の景況を觀んとて、宇品
港に集い來たりたるものおびただしく、埠頭
ために非常の雜沓を極めたり。兵士竝びに馬
匹の全く乘船し了りしは、二十四日午前十一
時過ぐる頃なりしが、各船の黑烟次第に增し
て、汽力ますます加わり、やがて時辰正午を
報ずれば、各船の甲板齊しく喇叭の響き嚠喨
たり。旣にして汽笛一聲出港を報じ、諸船列
を整え、勇しく西に向かって進航せり。この
日天氣快晴、このほど御着廣の梨本宮殿下を
始め、野津師團長以下の各將校は、棧橋に出
でて、遙かにこの一行を見送れり。
朝鮮特報 京城 特派員 高見龜
招討使の電報 韓曆十三日夜發翌十四日京城着の招討 東徒之散屯各處者皆聚于泰仁邑盡納軍器于官庫自願 韓曆十三日夜 招討使電報
全羅道西部の模樣 此頃仁川寄留▣打業田中松之助な 一營業の爲め五月一日仁川發、全羅道林川、古阜、黃 一途中支那兵の如きものは勿論支那商人にも出會は 一日本人には興德に於て釜山より行商せるもの三名 一本月一日頃より興德地方十餘里內外靜穩にして更 一五月九日顯益號にて郡山へ向け出發したる仁川兵 一興德は縣監あれども最初より何れへも遁走せず今 一麥作は一般に上出來にて米も近來降雨の爲め植へ
使より韓廷に達したる電報は左の如し
退歸而或投戎師一例盡散更無聚屯處從此東徒盡平萬
幸
るものが同地方を經由しその模樣を報告せるものあり
揭げて參考に供す
山、江景邊を打㢠り本月六日興德着、九日興德縣を
發し十二里を步して十五日郡山着、十六日午前顯
益號に便乘し十七日午後歸港せり
ざりし
に出會せり
に民亂の噂さだもなく六日頃迄は全州に亂民入り
込み居るとの說ありしが其後五六日を過ぎて亂民
も全州より散亂したることを聞込めり
五十餘人と野戰砲二門は郡山着の儘上陸せず其後
全州監營よりの命令にて本月十六日郡山より直ち
に歸港せり
日とても依然在署せり
付けも出來此の分なれは豐作ならんと云へり