6月30日
速に韓廷と相談を
遂ぐ可し
朝鮮東學黨の亂に付き彼地に居留せる我國民の安寧を
保護し倂せて隣邦の獨立を得せしめんが爲め政府にて
は旣に陸海の軍隊を派遣せしが其以前淸國にても屬邦
の內亂鎭定の爲めと稱して出兵に及びたる趣にて幾千
の兵馬俄に韓地に入込みければ亂徒は此形勢を見て取
りたるにや忽然跡を收めて恰も平定の姿となりたる由
の所何思ひけん淸國政府にては我在韓の軍隊を撤去す
る樣申出し我政府は無論これを拒絶したるより爰に日
淸兩國の間に隙を生じたる有樣となり或は支那にても
軍隊を增遣す可しと云ひ若くは頻りに戰備中なりとて
風說紛紛和戰いづれに決す可きや未だ容易に豫知す可
らざるものゝ如し素より日本にては義兵を發したるに
過ぎざれども支那が若しも挾む所ありて敢て交戰を求
むるに於ては國權擁護の爲め之に應ずるは始めより覺
悟の前なれども優柔不斷は淸廷の特色のみならず自大
不▣も亦彼等の持病にして兼て竊に輕侮し居たる日本
人が意外にも敏捷なりしを見て頗る狼狽の趣なれば果
して能く其平生の傲慢を實地に演じ得可きや否や竊に
疑なき能はず何れにしても進退共に遲遲たるは老朽國
の常なれば其邊は彼等の氣任せとして兎にも角にも此
方に於ては徒に手を空ふして他の曖昧なる擧動を待つ
の暇はある可らず彼れは平生言語に達者にして其語氣
頗る活潑なれども實際に臨むときは運動の鈍きこと牛
に乘るが如し我れは常に無言なれども其無言中に決し
て旣に表面に發するときは駿馬に鞭て走る者の如し
或は其牛が遲鈍ながらも敵意を抱て來らんと欲するか
固より恐るゝに足らず不本意ながら懲戒の爲めに其角
を折る可し或は自から測量して近づくことなからんか
至極穩便にして宜し來るも來らざるも到底牛と馬と調
子を共にせんとするは實際に叶はざることなれば我政
略は眼中淸廷を見ずして獨行の方針に向ふこそ今日の
急要なれ東學黨も一時の潛伏とは云ひながら最早や干
戈の要なき上は我政府は宜しく韓廷と相談して事の善
後策に着手すること至當なる可し今回の內亂たる必ず
しも暴徒の罪ならざるは中外ともに認むる所にして且
つ又從來淸國の干涉の爲め大に內治を妨げられたるや
蔽ふ可らざる事實なれば一方に於ては其獨立を確實に
し一方に於ては諸般の政務を改良して一大改革を爲さ
ゞるよりは決して今後の安寧を期す可らず卽ち我日本
國が隣交の爲め厚誼を致す可きの場合にして例へば鐵
道電信の如き文明事業を助長し時宜によりては暫く日
本人の手を以て管理するも必要ならん、軍隊兵式の改
良も必要ならん、敎育制度の釐革も必要ならん、殊に法
律の改正、財政の始末の如きは必要中の最も急なるも
のならん凡そ此等の處置は善後策として我政府の當さ
に催促す可き所なりとは出師の始めより人人の竊に豫
想せし所にして政府にても必ず其邊の成算ありしことな
らんなれば今や斷じて之が實行に取掛らんこと我輩の
敢て望む所なり韓廷若し遲疑因循せば進んで國王に獻
替し彼の廟堂を一洗せしむるも亦自から妨なかる可
し要するに朝鮮をして獨立の文明國たらしめ以て東洋
の大勢を支持するは我國本來の大目的なれば唯眞一文
字に此點に向て進行す可きのみ或は支那人が右等の事
情を見て心に悅ばず遂に故障を入れて不當の言行に及
ぶこともあらんには進んで之を排擊す可きは勿論なれ
ども是れは事ろ目的以外の波瀾にして豫め備ふる所あ
る可きも豫め期す可き事にはあらず唯今日の處は世に
緩慢を以て有名なる淸國を對手として悠悠日を送り爲
めに大切なる機宜を誤ることあらんを恐るゝのみ實に
我國の利害榮辱に關するのみならず亦延いて東洋の大
事たる可し我輩は此際勇斷果決を主とするものなり