7月4日
淸國ついに主戰に決定
淸國の主戰策 北京政府が李鴻章を掣肘し
て、その自由運動を止めし事、倫敦電報によ
りて明白となり、時事新報これを紙上に公け
にしてより、李伯もさるもの、事今日に至り
ては北京政府の訓令に默從すべきにあらず、
必ず意見を具して更に採納を請うならんとて、
世人の耳目はこの一點に集まりたるを以って、
本社は各要所に發電して、その成り行きに就
き電報の達するようかねて準備を整え置きし
こ、第一に着せしは昨日の紙上に揭げし倫敦
電報にして、明らかに李伯の意見採用されて、
淸國の廟議は主戰に一決したるを報ぜり。次
いで昨日に至りても電報續續達して、ますま
すこの報道の確實なることを示したり。すな
わち第一は天津發の報にして、左のごとし。
[天津七月二日午前七時五分特發]
李鴻章伯の主戰建策は、ついに北京政府の
採納する所となりたり。
十五營の兵士は朝鮮に派遣せらるべし。
兵士は大同江より上陸して、平壤に根據を
置くならん。