7月25日
閔族の專橫を排し、大院君を召す
朝鮮政府は、旣に內政改革に關して、我が
大鳥公使より提出したる第一回の要求を拒絶
し、更にまた第二回の要求を拒絶したり。後
の拒絶は前の拒絶より來たる自然の成り行き
にして、かの外戚政府の擧動として、毫も怪
しむに足らず、すなわち事の主動は支那人の
敎唆にして、事大卑屈、家あるを知って國あ
るを知らざる閔族の一類は、その敎唆に乘り、
支那人を後楯としてかかる無禮の擧動に及び
たるは、証據明白決して掩うべからざる所に
して、大鳥公使がここに至って彼等を對手と
して、事を談ずるの無益なるを悟り、親しく
國王に謁見して、その擧動は、果して主權者
の眞意に出でたるものなるや否やを確かめん
としたるは、もとより正當の手段にして、公
使たるの任を盡したるものに外ならず。しか
るに國王に於いては、毫も我が公使の要求を
拒むの意なきのみか、その拒絶は全く支那人
の敎唆に出でたるものにして、當局の閔族等
が王の聡明を掩うて、事のここに及びたるそ
の証據は、この際國王が特に使を以って大院
君を宮中に召し、政務を任ぜられたるの事實
を見ても明白なるべし。そもそも君は殿下の
實父にして、年來親子の情淺からざるのみか、
政治上にも互いに意見を同じうすれども、常
に外戚のために妨げられて、百事意のごとく
ならざるは年來の事實にして、我輩がひそか
にその不幸の境遇を悲しみたるは、敢えて今
日に始まりたるにあらず。聞く所によれば、
今よりおよそ三十年前、國王の幼沖なるに際
し、君は國父の故を以って政を攝し、國事の
改革を行うたるもの一にして足らず、外戚專
權は朝鮮の國弊にして、その流毒のはなはだ
しきを以って、君は深く鑑みる所あり、今の
王妃を冊立するに當りては、特に意を用いて
君の夫人の家なる閔氏の所生を迎えて、いさ
さかその弊を免れしめんとしたれども、事心
と違い、國王の次第に成長するに隨い、外戚
の閔族は次第に專權の勢を催して、國父攝政
の大勢力を以ってするも、これを制するを得
ざるのみか、ついに擯斥せられてその地位を
失いたるは二十年前の事にして、君が攝政は
十年間に過ぎざりしと云う。明治十五年の內
變に、再び起って王室を輔け政に參したれど
も、未だいくばくならずして魚允中、趙寧夏
金允植の輩が閔族の內意を受け、支那人と共
謀して君を欺き、支那の本國に拘留したり。
その後國に歸るを得たれども、閔族の君を嫉
むことますますはなはだしく、表面には敦く
して內實はこれを遠ざけ、あたかも遠卷きに
して糧道を絶つの毒計を施し、手足を動かす
の自由さえも得せしめず、君の前後左右はい
ずれも閔族の探偵にして、父子ひそかに相見
て相語るを得ざるのみか、時として君が宮中
に參內することあるも、一杯の茶、一服の烟
草さえもこれを口にすることあたわざるほど
の危險あるよし、實に恐しき境遇なりと云う
べし。現にその子たる國王は、主權者の位に
在りながら、父をしてかかる境遇に在らしむ
るとは、はなはだ解すべからざるがごとくな
れども、王とても決して至愚の人物にあらず、
殊に親子の愛情は年來變わらずして、君と相
會して心事を語らんとするの情は山山なれど
も、いかんせん、もしもその心事をありのま
まに口外するときは、自身の安危さえも計る
べからざるほどの次第なるが故に、情を忍ん
で手を拱するものなりと云う、閔族の專橫想
い見るべし。されば今回かの政府が、無禮に
も再度まで我が要求を拒絶したるは、全く閔
族の私心より出でたることなれども、國王も
今日の場合となりては、國家の大事、外戚の
私情に殉じて事を誤るの時にあらずとて、斷
然物議を排して、大院君を召すことに決し、
日本兵のあるを幸いに、これに身邊の保護を
依賴せられたることなるべし。すなわち昨日
の號外を以って報道したるがごとく、大鳥公
使は國王の依賴に應じ、兵を以って大院君を
守護し、韓兵の妨害にも拘わらず無事に參內
し、共に國王に謁見して奏する所あり、王は
直ちに政務を君に任ぜられたりと云う。(後
略)