10月5日
全州の東學黨首領にイン夕ビュー
[八月五日(明治二十七年九月四日)接取]
東學黨首領訪問記 東學黨の情狀探究の目
的を以って、去月十日、同黨首領を全州に
訪問したる某氏の筆記、左のごとし。
本月二日、龍山を發し、廣州、利川、竹山
鎭川、淸州等を經て、九日全州に着し、東學
黨の首領を以って世に聞えたる金鳳均を全羅
監營に訪うて、翌日金の使人に導かれ、布政
局の後房に於いて面會し、三時間の筆談をな
す。
金鳳均、一名を全明叔という。余面會のと
きは金と稱す。けだし金は實姓にして、全は
仮姓ならんか。余は房に入り、筆を執り姓名
を通じ、或る友人よりかつてその人物と抱負
を聞き、渴仰の念に禁えず、今回京城より來
たり訪いたる旨を告げ、次いで余の素志と東
洋の現勢、朝鮮の實情、眞正倫理の主義、眞
正經濟の主義を述べて、以って今日に處する
方法、手段を論じ、金の敎示を乞う。金もま
た再三辭すれども聽かず、すなわち余の渡韓
以來感する所を擧げてこれを語る。金の語る
所大抵、左のごとし。
我等ただ閔家の一族が要路に在り、威權を
弄し私福をほしいままにするを見て、慷慨に
堪えず、年來同志を糾合してこれを斥けんと
欲し、しばしば政府に臻りてこれを訴えしも
いっさい採用せられず。これ、閔家內に在り
て我等の訴願を杜塞し、殿下に達せしめざる
ものと思惟し、ついに君側の奸を除くの名義
を以って兵を起せしなり。しかるに我等の擧
兵量らずもその媒介をなして、今日日淸の兵
爭を朝鮮に見るに至りしは、我等が千秋の遺
憾とする所なり。幸いに日本高義を以ってし
ばしば我が政府に勸告し、その余力を擧げて
我が國のために盡瘁せらるるありて、旣に閔
家を擯け大院君を起し、弊事を改めて政法を
正さんとす、我等の素望多くは達す。我等こ
こに於いて翻然圖を改め、正業に復すべきな
り。しかれども日本のなす所、大院君のなす
所、我等未だその詳細を知りて心を安んずる
あたわざるものなしとせず。故に僕は務めて
同志の紛起を制すると同時に、我が政府の動
止を知らん事を願うなり。曩日公(余を指
す)の知人數輩と相會して、縷縷その敎諭を
蒙り、實に宿昔の迷夢を一散す。今日また公
の來訪を受け、大いに僕の智見を增す、感激
なんぞ止まん。
余問うて曰く。
足下は忠義の士、その日本のなす所、大院
君のなす所の詳細を知るあたわざるがために、
未だ心を安んずるあたわずと云わるるは、僕
の實に感ずる所なり。ただ朝鮮今日の衰弊を
致すを以って、一に閔族の所爲のごとく云わ
るるは、僕の解するあたわざる所なり。けだ
し閔の亡ぶるは、亡ぶるの日にあらず、その
衰うるは、衰うるの日にあらず。朝鮮の今日
あるは、數百年來政法の弊事しきりに起るも、
これを革新する者なく、いたずらに舊株を守
りて、世界の大勢を達觀するあたわず、因襲
の久しき、ついにこの悲しむべき境遇に沈み
たるなり。閔族の所爲惡むべしといえども、
これただ糞中の蛆のみ。公、糞を摑みてこれ
を捨つるを思わず、いたずらに蛆をただ殺さ
んとす。僕、公のためにこれを借しむ。
金答えて曰く。
誠に貴諭のごとし。糞を捨つるの策、僕の
未だ講ぜざる所、これを以って迂拙と笑わる
るとも、もとより辭せざるなり。願わくは公
の說を聞かん。
ここに於いて余は更に縷縷陳述する所あり、
金終始默視(余の紙に書するを視るなり)し、
余の陳べ終わるを待ち、膝を進め、顔色を變
じて曰く。貴諭のごときは臣子の口にすべき
所にあらず、もしこれを實行せば、大義をい
かんせん、名分をいかんせん。
余はなお金の深意を詳かにせざるを以って、
李成桂の傳(余渡航の際、諸書または人の口
傳によりて編纂せしもの)一通を懷ろより出
してこれを示す。金默讀二、三行にして、た
ちまち余に返して口を噤し、坐を起たんとす。
余その袖を惹きてこれを止め、筆を揮って、
「聞くならく、足下、常に王道を唱え、よく
書經を讀む。殷湯、周武、果して何事をかな
す」と大書す。金再び坐に就きて熟視する少
時、默默また語らず。しかれどもその眼光自
ら常ならず、或いは余の面に注ぎ或いは他を
顧み、唇頭微動す。
これより話頭を轉じ、全州覆落の時の景況、
また近日噂する東徒再起の眞僞を問う。金曰
く、全州を遁るるは、京軍に抗するに忍びさ
るものあるを以ってなり。東徒再起は僞なり、
かの州縣を橫行する者は、我が同志の名を盜
むものにして、我等の關知する所にあらず
云云。
更に西洋の事情を問答し、その雲する酒肉
を喫し、別れを告げて門外の旅舍に歸る。
十一日昧爽、金、余の宿に來たり、余の面
前に於いて昨夜の筆談書を裂きて火中に投じ
韓錢十束ばかりを送る。余は辭して受けず。
午前十時、全州を發す。この朝また余と筆談
す。事は日淸戰爭の理由と始末とに屬す。
全州より龍潭に赴く、釜山商人に信書を托
せんためなり。更に全州に歸り、再び淸州に
出で、歸京の途に就かんとせしも、故ありて
路を轉じ、報恩、化亭等を過ぎ、十五日尙州
綾巖里に崔時亨を訪う、在らず。金の紹介狀
と一簡を遺し去る。聞慶を經て馬岑を越え、
齒冬延豊忠州を過ぎ、昨二十日午後六時、京
城に歸る。
この行、實は舍弟の消息を知らんがためな
りしも、途上にて弟の友人に逢うて心を安ん
じたり。金訪問のごときは、第二の目的なり
しも、今日よりこれを思えば、金の訪問のみ
のごとき有樣となれり。
金の風采は年齒四十ばかり、面やや方、疎
髯長く垂れ、眼中一種の異采あり。書すると
きは口中微呻を發し、細に玩讀して、しこう
して後これを余に示す。
智見は廣からざるも、韓人には珍しき博識
者なり。これ常に好んで外人に接して、これ
を聽けるものならん。
すこぶる胆議あり、また事をいやしくもせ
ざるの風あり。しかれども普通韓人と同じく、
猜忌の情に深し。ただ普通韓人のごとく、こ
れを言行に暴露せざるのみ。意を用いてその
弱點を隱蔽し、決してこれを人に示さず。
君子にあらず、英雄にあらず、また奸物に
あらず、一個、外冷中熱の好男子。
右記憶中より拔きて、坐右に呈するものな
り。
九月二十一日 氏名
二伸。途上、僞東黨の噂往往耳に入り候え
ども、實際目擊せしことは一回もなし。全羅
監司の施政その當を得ば、兵力を仮らずして
消滅すべきのみ。
金の事は今少し褒めたく存じ候えども、有
りのままを申し上ぐ。我が政府の周旋により
てこれを登用せば、韓人の幸福なるべし。要
するに、韓人中に珍しき男に御座候。
右奉り候。御一覽候なり。